義を見て為ざるは勇無きなり

世の中は大変な事になってます。

見義不為、無勇也

論語です。
この言葉は論語の為政篇の最後に出てきますが、実はこれには前があります。

「其の鬼(き)に非ずして之を祭るは、諂(へつら)ふなり。
義を見て為(せ)ざるは、勇無きなり」と。

私の解釈は以下の通りです(あくまで私の解釈です)
「世の中の人が祭るからと言って自分の祖先の霊ではないのにこれを祭るのは世の中へのへつらいだ。
こうしたことは悪いことだと思いつつ迎合しているのだから勇気がないと言われても仕方がない。」

前の文章で「へつらい」という言葉が出てます。前後を対比しながら義憤を感じながらそれに対して何もしないでいるのは「へつらい」だと言っているのだと思います。

「ヘンな勇気だしてバカじゃあないの」と言う人がいます。
それは強いもの、自分に利益をもたらすものに対する「へつらい」ではないのか?
孔子はそう言っているような気がします。

義によって発動される勇気でなければ価値はない、でも義憤にかられても何もしないのは「へつらい」だと。

 また孔子は智仁勇を三達徳として大いなる徳としています。

単なる義憤だけの行動ではどうにもならない。

そこには仁と智が必要だと言っているのです。

考えさせられます。