段位に対する考え方

先日、新潮社から出ている佐江衆一氏の「剣と禅のこころ」という本を読みました。そこには私と共通する想いが書かれておりました。

少し長くなりますが、引用させていただきます。

 

「私が4回目の剣道6段の審査(全国から1727人が受けて合格率12%)に不合格になった時、元総理大臣を含む著名な国会議員4名だけが国会近くの道場で審査を受けて全員合格。これはおかしいと公に声を上げた高段者を私は知りません。余談のついでながら、昭和の剣聖といわれ講談社の野間道場の師範もされた持田盛二範士は、9段に昇段の話が出た時、「9段はいりません。人間が人間に最高の位を与えた。その人達の剣道に良いものはないのです」と語り、「段を欲しがる人に良い剣道はありません」とも話したそうです。
昇段のために努力をし、昇段できればその段位にふさわしい剣をめざしますが、段位という権威にこだわると人間が卑しくなります。恥ずかしいことに私も「段」を欲しがってきたので、これからは他人が与える権威にはこだわらず、老齢を重ねるのですから自己を「天真に任す」ような剣道をめざしたいと思っています。」

 

段位(またはそれに代わるものも同じです)や○○流という権威がなくては稽古が続けられない人には理解できないでしょう。