松下村塾

5月3日の日経新聞「春秋」にこんなことが書いてありました。

 

「幕末、吉田松陰の松下村塾に2人の若者が入門したときのことだ。「謹んでご教授をお願いいたします」と言われた松陰は、こう返したという。「教え授けることはできません。君らとともに学んでいきましょう」」

 

常に自らを未熟として、さらに学びたいと思い続けた松陰は本気で門人とともに学びたいと思っていたのだと思います。

松陰は「坩堝の中で溶け合うような活気溢れる教学の場」を求めていたのだろうとも書かれています。

松下村塾を高所から教えを垂れるようなありきたりの場にしたくなかったのでしょう。

 

「春秋」はそれが最近、注目されている「アクティブ・ラーニング」とも重なると言ってます。「アクティブ・ラーニング」とは一方通行の教え方ではなく、グループ討議や体験学習を通じて理解を深める方法です。

 

生まれも育ちも身分も違う人が集まって、持っているそれぞれの能力をすべて出し切って切磋琢磨したからこそ松下村塾は意味があった。そんな異能の門人たちは松陰にとってすべて「師」だったのだと思います。

 

それぞれ異なった才能をぶつけ合った松下村塾は日本の歴史にその名を刻みます。