喫茶去

「喫茶去」は有名な禅語です。
「まあお茶でも飲みなさい」という意味です。

もっと深い背景があるのですが、言葉そのものの意味はそんなところでしょう。

 

禅の修行で弟子が八方塞がりになって師匠に相談に行くと「お前メシを食ったか?」「まずお茶でも飲め」と言われるそうです。
禅語的な意味とは違うかも知れませんが、最近の私にはまず身体から整えよと聞こえます。

 

私が参加している坐禅会では数息観という方法で坐禅を組みます。

座って、ただひたすら呼吸の数を数えます。
しかしこの「ひたすら」というのが難しい。心が暴れ出して「ひたすら」を壊し始めます。

 

また坐禅をしていると「自分はなんでこんなことをしているんだろう」とか「足が痺れてきた。居合の方がいいかも」などという思いが湧き上がってきます。ただひたすら呼吸を数えなければならないのに、そんなことを考えているようでは坐禅になっておりません。

 

結構まじめに取り組んでいるのになあ・・・

坐禅を始めてからずっーと考えてます。

いや考えているからダメなのかもしれません。

 

「不動智神妙録」に書かれているように身体を動かしているのは心です。

だからといって心を直接コントロールするのは難しい。

一見、遠回りのようですがどうも身体から出発する方が近道のような気がします。