古典を楽しむ

前回、新元号「令和」の出典が万葉集と書きましたが、万葉集に限らず古典と呼ばれるものの中には良いものが沢山あります。

 

例えば聖書です。
念のために言っておきますが私はクリスチャンではありません。

ご存知の通り聖書は世界のベストセラーです。これを読むと絵や彫刻、建物、ことわざ、名前、食べ物などあらゆるものが、ああ!そうだったのかと目の前が広がります。その深さに感銘します。世界に色が付きます。

 

もちろん古典は聖書だけではありません。クルアーン(コーラン)や論語も素晴らしいですし、無門関、碧巖録、正法眼蔵随聞記も。古事記、日本書紀、枕草子、源氏物語、方丈記、平家物語、徒然草、太平記、風姿花伝、五輪書、兵法家伝書、不動智神妙録、天狗芸術論、猫の妙術、幣帚自臨傳、京都守護職始末、弓と禅・・・キリがありませんが(^_^;)

あの素晴らしい古典が入ってない!という方、ごめんなさい!

あくまで私個人の触れた狭い世界ですのでお許しください。

 

古典の素晴らしさは源流を知ることです。人間が作った全てのものには意味があります。源流を知ることはその意味を理解することで時を超えて古人の心に触れることです。

 

そして武術にも古典(形)があります。それは伝書や古文書を読むだけではありません。大事なのは古人の動きをトレースする事で身体がその意味を「感じる」ことです。そこには単に武術としてだけではなく、古人の生き様がリンクしているはずだと思っています。

 

人はルーツを求めるんでしょうかね。
(昔、「ルーツ」というアフリカンのドラマが流行りましたね)
源流を知りたくなるのかも知れません。

 

北斗神拳のケンシロウも源流を求めて海を渡りました。

読んだことのない方、ごめんなさい!