「力を抜く」再考

昨年7月21日の静稽録にも「力を抜く」ことについて書きました。今回はちょっと違った面から考えてみたいと思います。

 

本来、武術では「力を抜く」ことが必要な場面は日常ではありません。非日常です。そして武術の場合、非日常とは戦闘状態をさします。

(私達は日常の稽古でも力を抜くことさえ難しいですよね。しかしそれは今回は置いておきます)

 

戦闘状態に身を置くと、呼吸が速くなり、心拍数が増し、血流が増え、筋肉が硬くなります。呼吸数が増えるのは酸素を多く取り入れて頭の回転を上げてパフォーマンスを上げるため、心拍数を増やすのはより多くの血を全身の隅々にまで送るため、筋肉を硬直させるのは自分の身体を守るためです。よって普通、戦闘状態の時には力が入ります。

 

これらは自律神経が行なっている身体への作用です。自律神経は自分の意思とは無関係に、自動的に身体の機能を調節する神経です。自律神経は交感神経と副交感神経の2つに分類されていて、必要に応じて相互に切り替わって働きます。もちろん戦闘状態の時は交感神経が働きます。

 

問題は自律神経が自分の意思とは無関係に働くと言う点です。これが「力を抜く」ことを難しくしている要因の一つです。

普通、戦闘状態に身を置けば、自動的に交感神経が作用して筋肉が硬くなります。
このオートマティックな働きをする自律神経に反して、戦闘状態の時に「力を抜く」にはどうすれば良いのでしょうか?

 

一つは非日常を日常にすることです。稽古で非日常の仮体験をすることで非日常に身体を慣れさせます。
二つ目は非日常にも関わらず副交感神経に切り替えるスイッチを手に入れることです。その一つの訓練方法が坐禅であったと考えます。平常心へのスイッチを手に入れることはある意味、武術の極意なのかも知れません。


そしてこの二つの精進の末にやっと「力を抜く」各論に入っていけます。