老残武蔵

「武蔵は前を見おろした。さっき思わず息をつめたときに小水がとまって、武蔵の陽物はかすかな痛みをとどめたまま垂れさがっている。一度殴りつけた子供をあやすように、武蔵は垂れさがっているものにだましだまし尿意を伝えようとした。だが、それはうまくいかなかった。じっと立っている足がくたびれて来たころに、たらたらと二、三滴の小水がこぼれ落ちただけだった」

 

藤沢周平の「二天の窟」に描かれた老年の宮本武蔵です。リアルな描写が真に迫ります。

藤沢周平の武蔵は吉川英治の描いた「宮本武蔵」とは全く違った武蔵です。

 

あの無敵の宮本武蔵さえもこんな風に年を取るのだとこれでもかと武蔵の老いを描きます。

 

「物を忘れることが多くなり、飯刻にいっこうに食がすすまず、一腕の飯をもてあますようなことがある。また、武蔵は、風雨の日をのぞき、毎朝薄明に跣で庭に降りて木剣を振るのを日課にしているが、その木剣を、常ならず重く感じることがあるようになった。」

 

こちらは思い当たる人も多いのではないでしょうか?

稽古時の剣の重さを体調のバロメーターにしている人は結構いるはずです。

 

そんな武蔵が最晩年、若い頃の自分に似た野心的な若者と立ち合うことになります。

 

実質的には負けた立ち合いをなんとか引き分けの形に持ち込んだ武蔵でしたが・・・

 

初めて負けを感じた武蔵は老いを受け入れ、なお老いを引きずりながら全力で戦い続けます。これまでと同じ戦い方では勝てないと悟った武蔵はそれまでとは違ったやり方で戦います。

老いた者には老いた者の戦い方がある。

 

その後、老残の武蔵は霊巌寺の窟であの五輪書を書き上げます。もちろんこの話はフィクションですが、武蔵がこうした老いを自覚した上で書いたものだと想像すると五輪書も違った見え方がします。

 

もしかしたら老いがあったからこそ武蔵は歴史に名を残したと言えるかもしれません。そして「二天」にはもう一つの意味が込められているのでは・・・?

 

ちなみに宮本武蔵は五輪書を書き上げた年に62歳で亡くなってます。