にごりえに映らぬ月の光かな

長いこと一緒に稽古していると、時々変な音が気になる時があります。

 

ん?ちょっと違うかもな〜

 

タイミングか?

手の内か?

不一致か?

心の乱れか?

体調不良か?

 

音でその人がその時におよそどんな稽古していたかもわかったりします。

 

昔、示現流流祖の東郷重位が主君島津義久に従って京都に上洛した時の話です。

重位は旅先でも毎日の剣術の稽古を怠りません。ある時、重位が滞在していた宿の隣の天寧寺というお寺から、お寺の小僧さんが宿に来て重位に天寧寺の善吉和尚の言葉を伝えます。

 

「隣のお客人は剣術を心掛けて誠に奇特な御仁ではあるが、まだまだ素人のようだ。立木を打つ音を聞いていればそれが分かる。」

 

(まあ、考えてみれば大きなお世話ですよね・・・)

 

その言葉を聞いた重位はすぐに寺を訪ねて善吉和尚と話をしてみると、和尚は剣に対して造詣の深い人物だったそうです。

しかし、肝心なところになると「自分の流儀とは違う」と言って重位に多くを語りませんでした。

 

(わざわざ小僧を使いに出してまで「まだまだ素人のようだ」と伝えたのに?)

 

重位はその後もしばしば寺を訪ねて和尚に教えを乞いますが、和尚はなかなか教えてはくれません。

 

これを最後の日と決めて訪ねましたが、やはりその日も願いは受け入れられませんでした。仕方なく重位は障子に映る月影を見て「にごりえに映らぬ月の光かな」と一句を詠んで帰ったそうです。

 

その句を見た和尚は重位を呼び戻して自らの流派「自顕流」の極意を見せたそうです。そして重位はその場で和尚に弟子入りしました。この時、重位は28歳、善吉和尚は23歳だったと言われています。

 

こういう武術のいかにもな達人話は大好物です(笑)

 

しかし達人でなくとも、長いこと一緒に稽古していると音でわかることは結構あります。

もちろん達人とは次元が違いますが・・・

 

暗闇でしか聞こえぬ音がある