潔さと楽しむ力

静稽会のAさんは63歳です。会社の社長をしています。しかしある日、その社長業を全うした後に保育士になると言い出しました。

 

私はてっきり自身が経営する会社の中に保育園を作るための資格取得だとばかり思っていました。

 

しかしそもそもそんな年齢の男性が保育士試験に合格出来るものだろうか?とも思っていました。

 

しかし、なんと!

この度、Aさんは保育士試験に見事合格しました!

 

そして私が勝手に想像していた「会社の中に保育園を作るための資格取得が目的」というのも全く違うものでした。

 

Aさんは社長を退任した後にどこかの保育園でひとりの保育士として働くことを考えているそうです。

 

どこまでも自分の生き方を貫く人だなあと感心するとともにそこに潔さを感じました。

 

司馬遼太郎は「竜馬がゆく」の中でこんなことを書いています。

 

「武士の道徳は、煮詰めてしまえばたった一つの徳目に落ちつくであろう。潔さ、ということだ。」

 

また「ある運命について」の中では

 

「人は、その才質や技能というほんのわずかな突起物にひきずられて、思わぬ世間歩きをさせられてしまう。」

 

長いこと「世間歩き」をしていると潔く生きることが難しくなるのかもしれません。

 

人はただ単に歳をとったらから老人になるのではなく、面白く生きることを諦めてしまった時点から老人になるんだと思います。

 

稽古も同じです。「恥ずかしい」「そんなことやっても」「くだらない」などと、いろんなことを楽しむことが出来ない人や上達の過程を楽しむことを捨ててしまった人の稽古はやっぱり面白くないのです。

 

もう一人、静稽会のIさんは60歳を過ぎてから居合を始めました。その方もすでに70歳。稽古を始めてから着実に技量を上げ、現在も進行形で上がり続けています。

 

その年齢であれば体力の落ち込みが技量のアップを追い越してもよいはずですが、驚くことにその方は体力の落ち込みも少ないことに加えて技量の伸びがそれを遥かに上回っています。

とても70歳の人の動きとは思えません。

 

そして何より稽古を楽しんでいます。休憩中にもかかわらず何度も動きをトレースしている姿をよく見かけます。

あ〜楽しんでるなあ〜

着実に上手くなっているなあ~

私も70歳になった時にこんな風でありたい!

 

私はAさんの潔さやIさんの後ろ姿を追いかけたいと思うのであります。