「世の中にはわかっていることとわかっていないことがある」という二元的でスッキリした世界観に陥ると、とんでもないチョイスをしてしまうおそれがあります。
割と若い人に多いかもしれません。
もう少し長く生きるとわかります。
どうも世の中はそんなにハッキリしたものではないらしいと。
私たちは曖昧な世界に身を置いていると同時に私たち自身さえも曖昧な存在なんだと気づくべきです。
世の中はモヤモヤだらけで不確実で浮遊しているという認識の方が正しいと思います。
「ジョジョの奇妙な冒険」のDIOのように(わからない人ごめんなさい)
「無駄、無駄、無駄、無駄、無駄、無駄ァーーーッ!」
と無駄を切り捨てまくって、合理性でシステム化を進めるとその刃はやがて自分自身に向くことになります。
タイパなどはかえって生きてる時間を短くしてしまう様に感じますが、どうでしょうか?
世の中、わからないこともあります。
わからなくてもいいじゃあないか、人間だもの・・・ちょっと拝借しました(笑)
わからないことをわからないままにしておくことも知恵の一つです。
何でもすぐに語る必要はありません。
多くを語る人ほど自分自身のことはよくわかっていませんから。
もう少し楽になりましょう。深呼吸しましょう。
近くだけではなく、もっと遠くを見ましょう。
急がず、じっくり、腰を据えて、生きましょう。
闇の中に静かに身を置くと体の境目が曖昧になって体が闇に溶けていきます。そんな感覚に身を委ねてみると気持ちが穏やかになります。
米を食べる、野菜を食べる、肉を食べる、魚を食べる、稽古をする、すると時空を超えて自分の体が溶け出して田んぼになり、畑になり、山になり、海になり・・・まわりまわって稽古をしてくれる人につながる・・・
武術の稽古は決して人と戦うためだけのものではないと思います。
体だけではなく心もゆるめていきましょう。
今日は重陽の節句(菊の節句)ですので、無病息災と長寿、そしてまた一緒に稽古できることを願っております。