昨年の正月まではマンションの玄関口に飾られていた門松が今年はありませんでした。
住んでいる人たちの賛否すら聞かれることもありませんでした。
こんな風に日本から一つ一つ正月らしさが消えていきます。
少し残念な気持ちになりました。
昨年の大刀剣市で翡縁会のSさんにアテンドしました。
刀のことを勉強しているSさんは古い刀をメインに見ていましたので、いずれ古い刀を購入するものだとばかり思っていました。
後日、翡縁会多々良先生からアテンドのお礼とSさんの感想を伝えるメールを頂きました。
「本日稽古の折にSさんが先日の大刀剣市の感想を話してくれました。
-中略-
多くの古い真剣を鑑賞できたこと。
地金をよく見ることが出来てよかったこと。
-中略-
真剣を購入する時は現代の刀工の刀を買って、少しでも貢献したいと思っていること。
さすがに目が疲れたこと。
などなど楽しそうな様子でした。」
このメールを読んで若い方にもそんな考え方をする人がいるのかと大変感心しました。
実は私の父は亡くなる前に密かに、ある刀工に作刀を依頼していました。
自分が死ぬ前に居合を稽古している私に刀を残したいと思ったのでしょう。
ただ父は刀は全くのど素人です。
私がそのことを知ったのはそそろそろ父の寿命の先が見えて来たころでした。
作刀依頼のことがバレると父は私にこんなことを言いました。
「刀というものは随分と高いものだなあと思ったが、その値段には日本の文化に対する値段も含まれているんだよなあ」
とボソッと言いました。
確かに日本刀を残すためには、古い刀を保存するということも大切ですが、作刀技術を残すということも大切です。日本の文化である日本刀を残すためには両方とも必要なんだと刀ど素人の父から教わりました。
年々門松を飾る人が少なくなるといずれは日本から門松が消えてしまう日が来るのかもしれません。
日本刀もまったく同じです。
日本刀作製に従事する方々は大変な努力をしていますが、門松と同様でなかなか厳しい状況です。
将来「文化遺産」として博物館でしか見られなくなってしまったら・・・
日本の文化を守るために私たちが出来ることの一つは買うことです。
日本の文化の担い手は作り手だけではありません。