初めて会った人と話すとだいたい同じパターンに入ります。
「休みの日とかは何かやられてますか?」
「主に剣術、居合を稽古してます。時々自転車で走ってます。」
「えっ!居合って日本刀で切るあれですか?」
「はい」
ほとんどの方が「剣術」「自転車」よりも「居合」に食いつきます。
「やっぱり巻藁を刀で切ったりするんですか?」
「はい。まあ巻藁ではなく畳表を丸めたものですが」
「でも日本刀を持つには警察の許可がなければダメなんですよね?」
「警察の許可は必要はありません」
「でも銃刀法が・・・」
「教育委員会に届出をするだけです」
「え〜!そうなんですか!それでも銃刀法があるから警察への届出は必要ですよね?」
「いや、警察への届出も要りません。教育委員会に届出するだけです」
「へえ〜そうなんですかあ・・・」
しばらくすると・・・これも必ず聞かれます。
「やはり日本刀は切れますか?」
そもそも切れない日本刀って?と思いつつ、あまりにも漠とした質問に以前は何と答えて良いものかと思っていましたが、最近では慣れたものです。
「切れますよ。人の首でも切り落とせるくらいですから」
「・・・」
「日本刀はあまりにもキレイに切れるので、うっかり指先を切っても血が出るまで気が付かないくらいです。傷口がピッタリくっつくので治りも早いです。
昔、河岸で胴を切られた浪人が向こう岸に泳いで逃げて川から上がろうとしたら下半身が無かったとか・・・ウソです(笑)」
「あはは・・・」
ちなみにこの話は重要美術品「波游ぎ兼光」にまつわるお話です。
次も定番の質問です。
「刀の手入れは大変ですよね?」
「稽古で使う刀は稽古が終わった都度手入れをしますが、それ以外の刀は半年に1〜2回ほどですね。それほど大変ではありませんよ」
「やっぱり時代劇で見るあのポンポンをやるんですか?」
「しっかり手入れをする時はポンポンします。でも普段はもっと簡便な手入れ方法でやってます」
「あのポンポンは何ですか?」
「打粉という砥石の細かい粉が入ってます」
「え〜じゃあ刀を研いでいる訳ですか?」
「いやいや、砥石の粉で前に塗った刀油を取り除いているんです。まあ厳密に言えば確かに刀は粉で削られているとも言えなくはないですが・・・」
「何でそんなことを?」
「刀を鑑賞する目的もありますが、古い油は酸化したり、乾いたりして刀に悪影響を及ぼすのでちゃんと取り除かないとまずいんです。刀は折り返し鍛錬して作られていますので、細かな隙間などに残っている古い油を取り除くための粉なんです」
こうして振り返ってみると私は居合をやっていると言っているのに相手の質問は全て日本刀に関することばかりです。
残念ながら肝心の居合自体のことを聞かれる前に時間切れになることが多いのですが、それだけ日本刀というもののインパクトが大きいとも言えます。
「居合は竹刀でも木刀でもなく日本刀を使う武術なんです」
その日本刀は日本文化がギッシリ詰まった「総合芸術」(鍔、目貫、縁金、鞘など)ということも話題を広げる理由でもあります。
加えてこれもよく聞かれます。
「日本刀は高いでしょ?いくらくらいするものですか?」
「ピンキリです」
聖から俗まで話の振り幅が大きく、話題が尽きないのも居合の面白いところです。