先日、稽古が始まる前に稽古場の受付前で会員Iさんと雑談をしていました。
雑談のキッカケはIさんが定期的に仕事で通っている場所が会津藩が転封された斗南藩の地域ではないか?という話からでした。
戊辰戦争で敗れた会津藩が領地没収後に再興を許された斗南藩は青森県下北郡、上北郡、三戸郡にまたがる地域です。
極寒に加えて痩せた土地で厳しい暮らしを余儀なくされた会津藩の人たちの苦労話や「京都守護職始末」の記録にある松平容保公や当時の京都を跋扈していた「勤王の志士」と言われた浪士たちの実状について話をしていました。
すると隣に座っていた老婦人が突然声を掛けてきました。
「お話を聞いてしまいました。申し訳ありません。実は私は会津出身の者です。会津の人たちの苦しみは大変なものだったと代々聞かされてきました。以前に長州から会津に和解の申し入れがあったようですが、私たちは断じて受け入れられません!ならぬことはならぬものです!」
と厳しい顔でおっしゃいました。
老婦人でしたが、背筋がビシッと伸び、武士の威厳を感じるその姿はいかにも会津の「什の掟」を体現しているかのようでした。
その後、老婦人は会津に対する思いを吐露すると少し穏やかな顔になりました。
その方は空手を習っているお孫さんを迎えに来ていたようで、帰り際にお孫さんに「ちゃんとご挨拶なさい!」と厳しく言いつけると私たちに向かって「さようなら」と挨拶して去っていきました。
戊辰戦争が終わって150年以上も経っているにもかかわらず「会津の遺恨」はいまだに残っている・・・
「汚名を着せられた」
「侮辱的な扱いを受けた」
「酷い仕打ちを受けた」
こうした150年前の「会津の遺恨」はきっとあのお孫さんにも語り継がれるのだろうと想像します。
乾いた歴史教科書の1ページではなく血族の生々しい記憶としてDNAに刻み込まれていく・・・
そんなことを肌で感じた出来事でした。
ちなみに戊辰戦争で「賊軍」として戦った会津藩士の息子たちは西南戦争に志願して今度は「官軍」として戦っています。
歴史はそれぞれの思いを乗せて複雑に紡がれていくようです。
そんな会津の人の思いを知ることができる著作を紹介しておきます。
<参考>
山川浩著「京都守護職始末」-旧会津藩老臣の手記-
星 亮一著「斗南藩➖「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起」
松田 修一著「斗南藩 泣血の記」
石光 真人著『ある明治人の記録 ➖会津人柴五郎の遺書』