先日、知り合いの刀屋さんから招待状をいただき骨董市に行ってきました。
刀を見た後で骨董品も見て回っていると、ある店の棚の上に私の視線を釘付けにした20cmほどの円空仏がありました。
実は三年ほど前に仏師の方にご指導頂きながら初めて円空仏を彫りました。
ど素人なりに円空仏製作の難しさを知っているだけに、骨董市で目にした円空仏がどこにも無駄がなく、かつ奇跡的に美しい造形だったことが衝撃的でした。
♪愛しさと切なさと心強さと♪
見ているとそんな複雑な気持ちが湧き上がります。
その円空仏が鑑定上の本物の円空仏かどうかは知る由もありませんが、直感的にこれはかなりの値段がするだろうと思いました。
さらにその円空仏が本物であれば私の差し料と同じ時代に作られたものかもしれない・・・買えるような値段だったら購入を検討してみようか?
そう思いつつそっと底についている値札を覗き込むと・・・
なんと!85万円!
ですよね〜
即刻諦めてお戻ししました(笑)
円空仏は緻密に滑らかに彫るというよりも偶然性に寄り添いながら荒々しく大胆に彫ることで人智の及ばない力を感じさせてくれる仏像です。
偶然性と人為性の絶妙なバランスの上に成り立つという意味では日本刀に似ている部分があるかもしれません。
円空は仏像の完成もさることながら樹木を削ること自体に意味を持たせていると感じます。削り痕をそのまま残しているのはそのためだと思っています。
私の中では樹木から仏を削り出す行為は稽古で形を削り出す行為と重なります。
削り痕は稽古の過程でありそのまま稽古の本質です。
静稽会では毎年の稽古総見動画記録が削り痕になります。
ちなみに瀬戸内寂聴さんが住職を務めていた岩手県二戸市の天台寺には「鉈彫像」と言われている「聖観音立像」があります。
この仏像には気が遠くなるほど無数の削り痕が残されており、桂の霊木を一彫りごとに3回礼拝する「一刀三礼」で造像したと伝わっています。
ノミの音が聞こえてくるような静かな佇まいの仏像です。