刀法は伝え難し

篆刻を始めました。

一昨年に独学で一度トライしてみましたが、やはりちゃんと習おうということで、ある篆刻家の先生にご指導いただきました。

 

「字」を扱うという意味では「書」も「篆刻」も同じですが、やはり随分と違うと感じました。

 

書は柔らかな筆で紙に書くのに対して篆刻は刃物で硬い石に彫ります。

筆の使い方と刃物の使い方は全く別物です。

 

真剣稽古の心構えで彫りました。

肩の力を抜いて一心不乱、明鏡止水。

 

彫り上げてみて思いました。

「書」が居合だとすれば「篆刻」は試斬に似ているかもしれません。

 

しかしどちらも根は同じ。

篆刻も彫る時には字法、章法を理解した上でまず紙に書くことから始まります。

そこからさらに刀法を学んで彫ることになります。

 

試斬もまず剣術、居合を学ぶところから始まります。斬りだけ学ぶということはありません。

そして試斬は空を斬る訳ではありませんので実際に斬る刀法を学びます。

 

「刀法は伝え難し」

 

剣術家の言葉かと思いましたが、これはある有名な篆刻家の先生がおっしゃった言葉だそうです。なるほどその通りかもしれません。

 

私の初回作品は朱文で「稽古」と彫りました。

朱文は背景が白く文字が赤く浮き出るように彫ります。(反対は白文)

苦労しつつもなんとか彫り上がりました。

 

先生から

「「稽」の画数に比べて「古」の画数が少ないのでバランスはどうか?と思っていましたが、ちゃんと字の大きさと枠の太さで調整してますね」

と言われました。

「いえ、全く考えてませんでした。結果オーライです(汗)」

 

一般的に枠の中に彫る篆刻では画数が多い文字は小さく見え、画数の少ない文字は大きく見えるんだそうです。

文字だけでなく枠さえも作品とする感性に篆刻の奥深さを感じました。

 

まさに「観の目」が必要なようです。

 

「稽古」の「古」の「口」は笑っているように彫りたいと言って先生を困らせました。

静稽会は「静かに楽しく稽古」することがモットーです。

もしかしたら稽古で「笑う」ことの重要さが先生に伝わってなかったかもしれません。

 

篆刻は心を磨く稽古として続けたいと思っています。