ショパンは手首で呼吸する

先日、NHK「クラッシックTV」を観ていたところ、スキマスイッチの常田氏からピアニストの清塚氏にポップスとクラッシックのピアノの弾き方の違いを聞く場面がありました。

清塚氏はこんなことを言います。

 

「ショパンは手首で呼吸する」

 

ベートーヴェンの「エリーゼのために」の一音目を例に出して、クラッシックピアノではまさに恋人エリーゼのために語りかけるように優しく弾き始めなければならない・・・

 

そのためには指だけで強弱の調整をすると音が出ない可能性があるので、指で弾くのではなく肘の重さを乗せて弾くそうです。その結果、指は鍵盤に触れたままなので手首が上下するように見えるらしく、そのことを「ショパンは手首が呼吸する」と言ったそうです。

 

なぜ例がショパンじゃあなくてベートーヴェンなのか?はちょっと気になりましたが、ピアノは指で弾くものと思っていた私にとってはちょっと驚きでした(ちなみに私はピアノは全く弾けません)

 

稽古でもこれに似たようなことがあったりします。

動いているところだけを見ていてもその動きの本質はわかりません。

 

動力源はどこか?

意外に動いているところから遠いところだったりします。

また動力源は一つとは限りません。

筋肉とは限りません。

 

動きには表があり裏があります。

右があれば左があり、上があれば下があります。よくよく見極めなければ見誤ります。

 

先日、翡縁会の多々良先生から「翡縁会年末発表会」の動画をお送りいただきました。

武術には「見取り稽古」というのがあります。

現在、「見取り稽古」をさせていただいております。

 

見てもその動きの本質が分からないところは自身の未開拓の部分です。

さらには見えてないところもあったりします。

 

当然見ているだけではわからないことがたくさんあります。

それでもその動きを稽古場でトレースしてみるとその動きが尋常ならざるものであることはわかります。

 

なぜ同じ動きが出来ないのか?

なぜこんなに速く動けるのか?

 

そこから新たな稽古が始まります。

「見取り稽古」は「眼」を養う稽古であるとともに「盗む」稽古でもあると考えています。

そしてそれもまた楽しい稽古となります。