「止息滅尽三昧」
「しそくめつじんざんまい」と読みます。
禅で知覚と感覚が一時的に完全停止する深遠な瞑想状態のことを言うそうですが、私は文字通りに来るべき時が来たら自らの意思で息を停止して自らを滅して命が尽きることが出来る・・・と勝手に解釈してます。
病院のベッドで長らく苦しんで死ぬのはごめんです。
出来れば心穏やかに「止息滅尽三昧」でいきたいものです。
でも自身の終わりを自在に操ることなんて本当に出来るのでしょうか?
禅の高僧の中にはいくつも例があると伝えられていますが、もちろんこの目で確かめた訳ではありません。
書物からの一例です。
高島宇朗という禅僧はその禅の境地に達していたと言われています。
彼の最後を看取った次男の力郎はこう語っています。
「宇郎はいつもより1時間ほど早く起きて、用意した着物に着替え、洗顔、朝食の後、箱火鉢に硬炭を山盛りについで室内を温め、茶をすすり、机の上に広げた仏典「五燈会元」の一節を黙読し、静かに横になり、瞑目したが、その後、間もなく、息絶えた」
高島宇朗は77歳で静かにその生涯を終えたそうです。
私の最後はどうなるのだろうか?
そんなことを考えていたところ、先日「徹子の部屋」で俳優中井貴一さんがこんなことを語っていました。
緒形拳さんは最後のドラマ撮影が終わった打ち上げの後、店を出る時に中井貴一さんの方を振り返って「イヤ、じゃあまたな」といって別れた5日後にこの世を去ったそうです。
現代でも「止息滅尽三昧」の域に達していた方はいるのだと知りました。
「いつも通りに起きてまず入浴。その後に食事です。フランスパンにチーズと野菜を挟んで食しつつ、ゆっくり麦茶を飲みます。部屋は窓を少し開けて新鮮な空気を入れておきます。着慣れた稽古着に着替えてから、稽古に使っていた木刀と読みかけの本とフランスパン1本を用意します。これらを棺桶に一緒に入れて欲しいことや葬儀をやるのであれば「メロディフェア」という曲を流して欲しいと手紙を添えます。
その後、静かに横になって息絶える・・・」
私の最後もそんな風であればいいなあと思っています。
それまで稽古に精進します。
ちなみに禅僧高島宇朗は私の大好きな画家高島野十郎の実兄です。
