最近、静稽会Hさんがある流派の剣術稽古会に参加した時の資料をお借りして読む機会がありました。
資料はその流派の成り立ちから最近までの系譜、影響を受けているであろう流派などにも触れ、代表的な形の資料なども数多く掲載されていました。その労力たるや大変なものであったであろうと想像します。
資料は主観を極力排して断定することなく書かれており、消失してしまったものは消失したものとしてきちんと記しています。書かれた方の見識や姿勢に大変感服しました。
その資料の中には私が「史実」だと誤認していたものについて書いてあるページがありました。
ある武将がその流祖から教授を受けた時にこんなことを言ったと伝わっています。
「かの者は、なるほど名手である。が、大将たる者は元来、一騎打ちの兵法は要らぬ。-中略- ただ相手に打ち勝つ技のみを教授する。これ、匹夫の技というべきか」
これは割と有名な話で少し剣術に興味のある人なら誰でも知っているであろう話だと思います。
それが史実ではなくフィクションだったと認識を新たにしました。
しかも資料ではその「フィクション史実」は昭和の時代小説、戸部新十郎著「日本剣豪譚」が発祥ではないかと推定しています。
時代小説や時代劇ドラマはいわゆる史料による裏付けや「時代考証」を経ているはずという思いがあります。もちろんそうした検証はちゃんとされていると思います。
しかし小説やドラマはどこまでもフィクションです。読者の興味を引くための演出もあります。
最近の時代劇ドラマなどでも「それは絶対ない!」と思うような過剰な演出を感じたりします。しかしそれを「史実」だと思ってしまう人がいてもおかしくありません。
実際に私もその一人だったわけです。
さらに歴史は勝者が作るものと言われます。後に繁栄した勝者が敵対した敗者を貶める物語を作ったり、物語として作り上げる際にその対比を強調するために過剰な脚色を行うことはあってもおかしくはありません。時代考証の資料や検証資料自体が既に脚色されているという可能性もあります。
それらが時を経ていつの間にか「史実」と認識されてしまう・・・
時代の変遷と新しい資料の発見がある度に歴史の教科書が変わるのは当然の成り行きかもしれません。
またその資料では当該流派の小太刀は別の源流の流派から持ってきたものであろうと推察していました。こうしたことは他の流派でも見られます。居合は別流派のものであるという流派もあったりします。
まだそれぞれの流派の源流が鎬を削っていた時代にはお互いが影響し合うことはあったと思います。
さらに伝承者が破壊と創造を繰り返しながら技の改良を目指すのは当たり前です。
結果として流派は麻の如く分かれていくことになり、消失、復元を繰り返すとも言えます。
戸部新十郎著「日本剣豪譚」(戦国編)の「柳生三代」に書かれている石舟斎宗厳の幼少期に剣術を教えたと言われる叔父七郎左衛門の言葉です。
「兵法はおのれのもの。流儀にこだわることはない。おのれが感じ、おのれに相応するものが兵法である」
もちろんこれも戸部新十郎氏の創作です。でも私にはとても響きます。
必死に流派名の破片にしがみつく会もありますが、
「兵法は流派にあるものでなく、兵法にいそしむそのことに道がある」
私はそう思います。
