NHKの朝ドラ「らんまん」にはいろいろな植物が出て来ます。
「雑草という草はない」
恥ずかしながら若い頃は植物にはほとんど興味がありませんでした。自分の日本刀を持つようになってから刀装具に意外と植物の意匠が多いのに驚き、興味を持つようになりました。
昔の人はどうしてこの植物を刀装具にしようと思ったのか?
理由を知ると当時の人々の想いが伝わって来ます。
私が稽古に使っている刀の目貫は「万年青(おもと)」です。「万年青」は徳川家康が江戸で広めたと言われていますが、常緑で冬でも青々としていることから「若々しい」「長寿」「不老」などの願いが込められています。
もう一振りの方の目貫には「五三の桐」と「菊」が使われています。
日本政府の紋章は「五七の桐」ですが、私の目貫は少し数が違います。「桐」は鳳凰がとまる縁起木で元々は天皇家の副紋でした。
そしてご存知の通り「菊」は天皇家の紋章です。重陽の節句の花でもあります。重陽の節句は9月9日、陽数の最大値が重なる日です。邪気を払い、延命長寿の意味のある縁起の良い「菊」は静稽会の紋章「菊水」にも通じます。
「菊」から滴り落ちる水(菊の露)を飲んだ者は長生きするといいます。そう言えば「菊乃露」や「菊水」というお酒がありましたね。「菊」はとっても縁起の良い花なのです。
「藤」も刀装具に使われることが多い意匠です。樹齢が長く、「無事(ぶじ)」「不死(ふし)」と音が似ていることから好まれたそうです。
他にも「桃」や「牡丹」「菖蒲」「杜若(かきつばた)」などもよく使われます。
自分の刀にはどんな花を飾るか?
昔の武士の願いに想いを馳せながら植物を見るのも楽しいのではないかと思います。
新しい方々が入られると時々新鮮で根源的な質問を受けます。
先日、稽古中にこんな質問を受けました。
「なぜ体を捻ってはいけないのか?」
「捻ったっていいじゃあないか。人間だもの」と言いたいところですが、そもそも現代の私たちの「捻る」体の使い方は一体、どこで習ったものなのか?
どこから来たものなのか?を考えてみる必要があります。
そして昔の日本人の体の使い方はどんなものだったのか?
今と何が違うのか?
なぜそれを「習う」のか?
自身は居合に何を求めているのか?
自問自答しながら稽古を続けると見えてくるものがあると思います。
体の使い方はそれ単体で存在するということはありません。その裏側には服装や所作といった文化や美学があり日常生活があります。
例えば襖の開け方一つとっても、体を捻らない動きの中に日本的な静かな美しさがあります。
座り方や立ち方さえ椅子の生活と座敷の生活では違ってきます。
モップ掛けと雑巾掛けでも体の使い方は違います。
「ビーバップハイスクール」時代のヤンキーたちはコンビニ前で和式トイレ座りをしながらタバコをふかしていました。しかし今、「東京リベンジャーズ」のヤンキーたちはそれが出来ません。後ろに転がってしまうからです。今の人は足首が固くなっているからだと言われますが、和式トイレが少なくなっていった時期と重なります。
たかだか数十年で体の使い方は大きく変わってしまいます。
ましてや現代と江戸時代、さらには戦国時代や鎌倉時代のそれとは全く違うはずです。
そんな昔の人たちの体の使い方はどうだったのか?
凛とした佇まいや立ち居振る舞いはどうしたら身につくのか?
それは居合の中に見出せないのか?
「なぜ体を捻ってはいけないのか?」
ただ単にスポーツ合理性だけを考えていては答えは出てこないと思います。
GW中の観光地で着物を着付けしてもらった若い女性が「帯がキツくて吐きそう」とトイレに駆け込んでいく姿がテレビに映し出されていました。
やはり慣れない人には着物は辛いものなのか?
基本、帯だけで衣服を留める着物は着慣れた人には限りなく楽なんですけどねえ・・・私にとって稽古着はジャージと同じ感覚です。
ただでさえ普段、着慣れない着物を他人に着付けしてもらうとどうにも辛いものになるようです。
洋服はボタンやベルトで体にフィットさせますが、着物は基本的には帯(袴の場合は袴紐も)のみです。しかも帯の位置や締め加減は本人次第。これほど自由な服はありません。
ギターには指板上に打ち込まれた棒状の金属「フレット」と呼ばれるものがあります。この「フレット」を目印に指で押さえれば目指す音が出ます。
しかし三味線などには「フレット」はありません。
この感じは着物を着る時の感覚に似ています。
自身の着付けには「フレット」に代わる「勘所」が必要になってきます。
「勘所」さえ掴めばもう自由自在です。私は体調によって締め具合を変えたりします。
稽古では激しい動きをする訳ですから、普段着の着物よりも着崩れる可能性が高くなります。
稽古着が着崩れないようになるためには古(いにしえ)の人たちの体の動きに倣う必要があります。
稽古着の着付けも稽古着を着た時の体の使い方も「古(いにしえ)を稽(かんが)える」稽古に繋がっています。
まずは自分の体を感じること。「勘所」を掴むこと。
帯の締め具合、袴紐の締め所などを変えて自分の体を感じながらやってみると楽しいと思います。
もちろん着付けの基本はありますが着付けは絶対にこうするべきだということはありません。自分の体に合わせてある程度アレンジするのはありです。
ただ慣れないうちは稽古中に着崩れたら着付けの仕方を見直すだけではなく体の使い方が違うのかもと疑ってみることも必要です。
「数学って何の役に立つの?」
もしかしたらみなさんも一度は言ったことがあるのではないかと思います。
ない?私の偏見?
私は確かに言っていた記憶があります。
何でこんな面倒で不自由なことをやらなければならないのか?
残念ながら今でもまだ少し思っています。やっぱりコテコテの文系です。
少し前にNHKで「笑わない数学」という番組をやってました。
パンサー尾形が数学の大問題を大真面目に解説しながら番組を進行していきます。
特に「素数」や「無限」を扱った回は神回でした。
「素数」・・・だから何なの?
「無限」・・・無限は無限だろう!
そんなツッコミが聞こえてきそうです。
「無限」の回では
「自然数」(1・2・3・・・)と「偶数」(2・4・6・・・)の個数をずーっと数えたらどちらが大きいか?
「偶数」は「自然数」の半分なんだからやっぱり「自然数」じゃない?
と思う人もいる・・・でもそうはならない。
では「自然数」と「実数(存在するすべての数で小数・分数なども含む)」ではどうか?
・・・えっ!「無限」にも大小があるの???
私の中では忘れられない中学生時代「平行線問題」と呼んでいる出来事があります。
「平行線は交わることがあるのか?ないのか?」
どちらかといえば文系思考の友人が「交わらないから平行線というのだ」、理系思考の友人は「空間では平行線も交わることはある」
延々と続く友人のやり取りを見ていた記憶があります。
そんな私は数学の問題をただただ黙って解いていました。それは目の前の問題を解かなければ点数が取れないから。
不自由を感じながらも問題を解くことは出来ました。ただ楽しくはなかった・・・
今、稽古を始めたばかりの方々にはあらゆるものが不自由に感じられて、何のためにこんなことをするのか?と思っているかも知れません。
しかし稽古を続けていればその不自由を通り抜けた先には自由が待ってます。
そしてそれは楽しい!
最近、図書館で文系でも分かる数学の書を借りてきました。
遅ればせながら不自由と感じて楽しくなかった数学を今こそ自由に楽しみたいと思っています。
あっ!こんな問題を解いたことがあったなあ。
あ〜これはそういう意味だったのかあ!
初めて目の前が開けた気がしました。
何十年の時を経てやっと私も自由になれた・・・?
目には青葉山ほととぎす初鰹
山口素堂
先日、鰹の刺身をいただきました。
初鰹です。
初鰹(上り鰹)は戻り鰹のような脂のノリはありません。しかし身の色は鮮やかな赤色で身も引き締まっていて臭みもありません。
初鰹が大好きだった江戸っ子の粋を感じながら美味しくいただきました。
最近、静稽会に新しい方々が増えました。
やはり新しい方々と一緒に稽古をするのは新鮮で嬉しいものです。
改めて自分が夢中で稽古していた頃の気持ちを思い出させてくれます。
新しい方は袴の着付けや所作など覚えることが山ほどあります。
もちろん大変なこともありますが、新しいことに触れるたびに変化していく自分を楽しむ気持ちを大切にして欲しいと願っています。
常々、言っていることですが、稽古は楽しくなければ続きません。理由はなんでも良いと思っています。例えば体を動かすことが気持ち良い、みんなと話すことが楽しい、稽古後のビールが楽しみ、形が決まった時の快感などいろいろあると思います。
そんな「楽しさ」に夢中になることが大切だと思っています。
心身がキツい時は稽古はお休みするのが一番です。無理して稽古しても百害あって一利なしです。稽古したいという気持ちが湧き出て来るまでゆっくり待ちます。
私も新しい方々と触れ合いながら、新しい自分を楽しみたいと思っています。
どうかよろしくお願いします!
意外ですが、鰹の寿命は約十年だそうです。
同じ鰹が上り鰹にも戻り鰹にもなります。
最近、「Chat GPT」(チャットジーピーティー)という言葉をよく耳にします。
なかなか便利なもののようですが、どんなものなんでしょうか?
試しに「武術の極意を教えてください」と入力してみたところ、こんな答えが返ってきました。
「武術の極意とは、技術面や体力面だけでなく、心理面の強化も含まれます。以下にいくつかのポイントを挙げてみます。
1. 根気強く継続すること
武術を極めるには何年もの継続的な練習が必要です。最初はうまくできなくても、根気強く継続することで技量が向上します。
2. 自己修正の能力を養うこと
自己修正の能力があると、自分の弱点や問題点を見つけ、改善することができます。これによって、技術を磨くことができます。
3. 忍耐力を養うこと
武術には何度も失敗することがあります。そのたびに、自分を奮い立たせて、持久力や忍耐力を養っていくことが大切です。
4. 身体を鍛えること
体力、反射神経、柔軟性、バランス感覚などを鍛えることは、武術を極めるために不可欠です。定期的な運動やトレーニングを行うことで、自分の能力を向上させることができます。
5. 相手の心理状態を読み取る能力を養うこと
武術では、相手の心理状態を読み取ることが重要です。相手の心理状態を上手に読み取り、自分の戦略に活かすことができるようになれば、より高い技能を身に付けることができます。
以上が、武術を極めるためのポイントです。自分なりの方法でこれらを意識して、着実に技を磨くよう心がけましょう。」
何だかつまらない回答ですが、「根気強く継続すること」を一番目に持ってきたところは頷けます。
最近、「基本にして極意」という感じも何となくわかるような気がします。
全てのエッセンスを含んだ基本が一番数多く稽古し、一番紆余曲折を経て、一番極意に近づいているとも言えます。
「極意」なんて意外と「つまらない」ものなのかも知れません。
もうこれからは静稽録はChat GPTに書いてもらおうかな。
もし静稽録が引っ掛かりなく、読み易い文章になった時は疑って下さい(笑)
新しく入会された方々が最初にぶつかる壁が所作です。
細かくて覚えるのはなかなか大変です。
「なぜこうしなければならないのか?」
もちろん理由はあります。
しかし敢えてあまり細かなことを説明しない時もあります。
理由が分かった方が覚えやすいという方もいるかと思います。
それでもなるべくなら丸ごと体で覚えて欲しいと願っています。
もっとたくさんの細かな所作がある茶道などでは「なぜそうするのか?」という門人に対して「しらない」と突き放す師匠もいます。
どうしてそんな対応をするのでしょうか?
師匠は頭で考えることを排除して、まず体で向き合うことを求めています。
四苦八苦しながら所作に向き合っていると、ある時、頭で考えなくても自然と体が動く瞬間が訪れます。
そして無駄のない美しい動きが体に馴染む頃には心地よいと感じると思います。
考えてやる所作は単なる動作です。
心地よいと感じる様になって初めて所作本来の存在意義に気がつくと思います。
頭で考える所作は時間とともにいずれ消えてしまいますが、体にしみ込んだ所作は頭が忘れても体が覚えています。
早く所作を覚えたいと焦る気持ちもあるかもしれませんが、じっくり所作の壁に向き合って欲しいと思っています。所作の壁を正しく超える方法は何度も何度も体に刷り込む様に繰り返しやることです。
稽古場の外では効率に振り回されている私たちですが、稽古場は別世界ですから効率を求める必要はありません。
所作が心地良くなるまで何度でもお供します。
私の家のリビングの本棚には一番目立つところに舞踏家土方巽の本が置いてあります。
本のタイトルは
「美貌の青空」
難解で何度読んでもよくわかりません。もしかしたら「理解」するのではなく、「感じる」のではないか?と思い始めてからは気が楽になりました。
ある意味、武術稽古と似ているかもしれません。
実はこの本と同じタイトルがついた楽曲があります。
先日亡くなられた坂本龍一さんが作曲しています。この楽曲は映画「バベル」にも使われました。最近、日本のテレビなどでも活躍している菊地凛子さんという俳優の名前はこの映画で知りました。
楽曲「美貌の青空」の制作には坂本龍一さんと作詞家売野雅勇さんの二人がかなり長い時間をかけたと聞いたことがあります。
おそらく土方巽の「美貌の青空」に思い入れがあったのでしょう。
そういえばなんとなく詩や曲の雰囲気に土方巽を感じます。
「美貌の青空」は「言葉」を超えて五感に第六感まで総動員して「感じる」しかありません。
そう言えば映画「バベル」はもちろん旧約聖書「バベルの塔」の物語に通じていて、「言葉」が通じないことが一つのテーマになってます。
「美貌の青空」を感じながら
坂本龍一さんのご冥福をお祈りします。
WBC栗山監督が理想の上司の第一位になったそうです。
確かに「信じる」ことが信条で成果を出した監督ですから、部下から見れば理想の上司になって欲しいというのも頷けます。
この結果を受けて、爆笑問題の太田光さんがこんなことを言ってました。
「栗山監督が理想の上司だと言った部下には理想の部下は大谷翔平と言いたい!」(笑)
本当に彼はこういう時に抜群のセンスを発揮する人だなあと思います。
また「ミキティー!」こと藤本美貴さんはYouTubeで若い人達のお悩み相談をしているそうですが、ある時こんなお悩み相談があったそうです。
「彼の話が面白くない」
これに対してミキティーはこんな返しで一喝したそうです。
「なんで楽しませてもらう大前提なんだ!甘え過ぎだよ!」
拍手喝采!
剣術形には打太刀と仕太刀(呼び名は色々です)があります。
普通、形は打太刀は仕太刀を導くように作られています。ですからいわば打太刀は「上司」で仕太刀は「部下」という関係です。
では打太刀はいつも教える立場か?と言うとそうとばかりは言えません。
実は仕太刀を経て打太刀をやった時に仕太刀がよく見えます。
そして打太刀をやった後にまた仕太刀をやると打太刀がよく見えます。
そんな訳で静稽会の剣術稽古では仕太刀と打太刀の両方を交互に稽古します。
片方ばかり稽古するよりも相手がより見えてきます。
そして両方を経験した剣術稽古は約束稽古でありながらもより自由で、より楽しい稽古になります。
仕太刀から教わることもたくさんあります。
「言葉にした途端に消えていく」
「具体的に言えば言うほど遠くなる」
稽古の中で「伝える」時にはいつもこんな感じを抱きます。
普段、静稽会は形(カタ)稽古が中心ですが、形(カタチ)だけを伝えるのはそれほど難しいことではありません。しかしその形(カタ)の本質を伝えるのはものすごく難しいことだと感じています。
言葉や視覚では伝わらない部分があります。センシティブな感覚を伝えるのは本当に難しいと思います。
昔は視覚、触覚などに訴えるツールを使って明確にすれば伝えられると思ってた時期もありました。
しかし全部伝えようとすると間違って伝わったり、伝わらなかったりと弊害も多いと感じるようになりました。
個々人はそれぞれ体格も感応度も年齢も違いますから、同じことを伝えようとしても全く同じ訳にはいきません。
結局は全部伝えようとするよりも「ヒント」や「キッカケ」を伝えてあとは自身で探してもらうしかないというのが結論です。
私は過去の反省から、ある時期から「伝える」から「伝えられない」を前提にすることにしました。
世の武術オタクのような人の中にはたくさんの形(カタチ)を覚えて満足している人がいますが、それは形(カタ)の本質が伝わってないことの証左でもあります。
さらにいくら形(カタ)を学んでも自分で自由にコントロール出来なければ意味がありません。
また形(カタ)は大切ですが、いつまでもそこにとどまるものではないとも思っています。形(カタ)は稽古の過程でいずれは離れ、ある時にはまた戻ってくるようなところという感じがします。
静稽会は「型」と表記せず「形」と表記してます。
「型にはめる」と言いますが、「型」は全く同じものが出来上がります。大昔に達人が見出した動きを現代に蘇らせる夢のタイムカプセルとも言えます。
それでも同じ始祖を持つはずの流派の末が随分と違うものになっていることを考えると「伝える」ことの難しさはあります。そしてそれが意味することを考えたりします。
「形」は必ずしも全く同じものを示しているわけではありません。
例えば「四角形」と言えば、正方形であっても長方形であっても構わない訳です。大きさが違っても同じ形です。
全く同じモノとかコピーではなく、その核にあるものを伝えたい、静稽会の「形」はそんな想いを反映しています。
舞踊の世界では「半分はカタを覚えるために練習する。もう半分はカタを忘れるために練習する」と言うそうです。
また芸事には「守破離」という言葉もあります。
「カタ」は「伝える」ことの難しさがあると同時に「カタ」じゃあなければ伝わらないものがあるとも思っています。
最近、ヨガを始めてポーズも「カタ」なんだなと感じました。一見見た目は同じようなポーズをとっても、意識の置き所や使う筋肉や角度が少し違っただけで体に感じる感覚は全く違います。さらにそれは「稽古」の経過とともに変わっていきます。
結局、カタの本質は本人にしか見つけられないのだと思います。
また形でも型でも見据える先の「輝き」は同じなのではないかと思っています。
「良い試合は良い対戦相手がいて成立する」
WBC準決勝の日本対メキシコ戦は確かにそんな言葉がピッタリでした。
メキシコの監督が「野球が今夜の勝利者だ」と言ったそうです。
なかなかうまいことをいいます。
そう言えば翡縁会の多々良先生はこんなことを言ってました。
「自分も道具も大切に扱うことの出来ない人は稽古相手も大切に出来ない。そういう人は稽古相手もいなくなる。稽古相手がいるということはありがたいことだ」
これは「道具には神が宿る」という日本の伝統的な考え方や単に武術的に「気」を行き渡らせるというだけではないと思っています。
内観を通じて指の先にまで行き渡った「心」がさらに伸びて道具に伝わります。
「神経」や「気」という言葉ではなくやっぱり私的には「心」の方がしっくりきます。
本来無機質な道具に「心」が宿り自分自身となって稽古相手の道具に触れます。
無機質な道具同士のぶつかり合いではただの殺し合いの稽古になってしまいます。
道具に「心」を届かせて相手と触れ合うことが大切なんだと教えていただきました。
道具を単なる武器として捉えては楽しい稽古は出来ません。
いつも道具を介して相手と触れ合っているいう思いが大切です。
そんな思いがないと稽古相手もいなくなってしまうのだと。
「心」の通わない稽古は楽しくありません。
静稽会の稽古はどこまでも静かで楽しい稽古でありたいと思うのであります。
稽古が出来る環境があって、稽古相手がいてくれるというのは当たり前のことではなくて、特別なことなんだとしみじみ感じます。
WBCはメキシコに続いてアメリカとの名勝負を制した日本が優勝しました!
おめでとうございます!
選手たちも楽しかったはずです。
そして私たちも楽しませていただきました。
ありがとうございました!
先日、稽古終わりにみんなで昼食をとっていました。
ところがどうも後ろの席が騒がしい。
なんだか老人と若者?が揉めている模様。
老人「テメェ!なにチラチラみてんだ!」
若者「見てないですよ」
老人「さっきからオレの新聞を見てたじゃねえか!」
実はこの老人、四人掛けのテーブルに1人で座り、隣でニ人掛けのテーブルに座っている若者に文句を言っていたのですが、わざわざ若者の近くの側の席に座って新聞を広げて読んでいたんです。見た目は普通の老人です。
若者は不審に思って老人を見ていたんだろうと思います。
「テメェ!オレは70歳なんだぞ!表に出ろ!」
もう意味がわかりません。
そう言って老人は1人で店を出て行きました。
そんな時、一緒にいた静稽会のAさんがそっと店員さんに言いました。
「新手の無銭飲食かもしれない。お金を支払ってもらった方がいいですよ」
老人の剣幕に気を取られて、全く思いもつきませんでした。
なるほど!
確かにその可能性も排除出来ません。さすがはAさん!
ところが豈図らんや、老人は戻ってきました。そして警察を呼んだと言いながら相変わらず若者に絡みます。
やがて本当に警察官が来ました。しかも4人も。
老人は警察官にやれ防犯カメラを見てくれ、こいつが足を蹴ったなどと大声で怒鳴り散らしています。
2人は警察官に店の外に出されました。若者のテーブルにはまだ食べかけの食事がそのままです。
警察官の1人が戻ってきて私たちに事情聴取を始めました。
「目撃者」の私たちは事実を告げて店を出ましたが、外は雨が降っていました。
老人と若者と警察官たちのやり取りは雨の中でも簡単に終わりそうにありません。
トラブルに巻き込まれてしまった若者に同情しつつ私たちはその場を離れました。
それにしてもあの老人は何がしたかったのか?
おそらく孤独だったのだろうと推察する訳です。
孤独な老人の歪なコミュニケーションの取り方に背筋が寒くなります。
また孤独は精神疾患である妄想性障がいの原因になるそうです。
あの老人は既に病の域に入っていたのかもしれません。
孤独については静稽録に2018年6月10日「孤独と健康の関係」と2018年1月28日「孤独担当大臣」にも書きました。
あの老人に稽古相手がいたら、少しは変わっていたかもしれません。
エドウィン・ディアス投手は昨年5年約135億円で契約更新したメッツの大投手です。「プエルトリコの守護神」と言われているそうです。
そんなディアス選手が右膝蓋腱断裂してしまいました。
それもWBCの試合中ではなく勝利の歓喜の輪の中での負傷です。
全治8ヶ月。結構大きなケガです。
ニュースではチームメイトと抱き合いながら飛び上がって喜んでいた時に膝を痛めたとのことですが、そんな程度のことで?
ディアス選手はプロ中のプロですから体の鍛え方は尋常ではないはずです。
徹底的に鍛え上げた体がそんな簡単に壊れてしまうものか?
具体的にどんな状況だったのか?
どんなタイミングだったのか?
大変興味があります。
自分の体重に加えてチームメイトの体重が加わって膝に大きな負荷がかかった?
ディアス選手が飛びあがろうとしたタイミングで上からチームメイトの体重がかかった。いわばカウンターパンチのような力が膝にかかった?
もちろんこうした物理学的な要因はあるとは思いますが、やはり気持ちの部分が大きかったのではと感じてしまいます。
一般的に気が緩んだ時にケガをするケースは良くあります。
静稽会では10年以上真剣で稽古をしている人もいますが、稽古中のケガはほとんどありません。大きなケガは皆無です。むしろケガをするのは稽古が終わってからが多いように感じます。
真剣稽古中の緊張が解けて、話しながら刀の手入れをしている時に指先を切ってしまう・・・
登山も下山時に事故が多いと聞きます。
「勝って兜の緒を締めよ」とはよく言ったものです。
「るろうに剣心」の主人公緋村剣心の愛刀は「逆刃刀」ですが、その宿敵志々雄真実の愛刀「無限刃」が関鍛治によって再現されたそうです。
刃の部分をギザギザに仕上げてある刀はギザギザの凹凸の幅が0.75mmとなるように慎重に計測を繰り返したそうで、一カ所でも欠けたらダメになることから大変神経を使ったそうです。
そう言えば日本刀には切れ味を増すために「寝刃合わせ」という研ぎがあります。
「寝刃」とは切れない刀のことでそれを切れるようにすることを「寝刃合わせ」と言います。
砥石を刃先に荒く滑らせる研ぎを施します。
またヤクザ映画などで盛砂の中に刀を突き入れて刃を荒らすのも同じ考えです。ただこのやり方はどれほどの効果があったのかはわかりませんが・・・
いずれにしても刃がギザギザの方が切れるというのは意外な感じがしますが、刃の接地面が少ないほど接地面積に対する圧力が大きくなる訳ですから実は理にかなっています。
包丁の切れ味を確認するために刃に爪を当てて引っかかるかどうかを確認するのもそのためです。
でもこの「無限刃」は切れますかね?
大きなギザギザだとかえって引っかかり過ぎて逆に切れないのではと思ったりしますが・・・どうなんでしょう?
しかしあの刀で切られたらさぞかし痛いでしょうね〜
さらに「無限刃」は使う時に炎が出てましたね。そこは刃文で表現されているようです。
この「無限刃」は剣心の「逆刃刀・真打」と向き合うように3/30まで関鍛治伝承館に展示されているそうです。
WBCは中国、韓国と勝利して昨日はチェコ戦でした。
野球ど素人の私は前評判からすればさぞかし楽勝だろうと思ってました。
(チェコの皆さんごめんなさい!)
ところが対戦が始まって2回くらいまでは日本側が意外と苦しんでいました。
投手の球速に格段の差があるのになぜあんなに打てないのだろう?
野球ど素人の私には不思議でした。
単純に速い球よりも遅い球の方が打ちやすいはずだと思ってましたから。
しかし日本の打者はタイミングが合わずに苦労します。
解説者が日本の選手は140kmくらいが一番打ちやすい球速だと解説してました。
そんなものなのかあ・・・
確かに3回あたりから慣れた?せいか、段々と日本の選手も打てる様になってきました。
ただこれは野球というゲームの世界ですから、2回目以降があるので「修正」すれば打てる様になりますが、本来命のやり取りをする武術では2回目はありません。
1回目で死んでしまったり、致命傷を負ってしまえばもう「修正」の余地はありませんから。
武術でもチェコ戦の様なことはあるのだろうか?
そんなことを考えながら観てました。
メチャクチャに剣を振り回してくる素人は意外に強いとある有名な武術家の方が書いていたと記憶しています。
それは武術を習った人は「セオリー」に支配されてしまうからだと。
確かに稽古をしていると思いもかけない捌き方をする初心者もいたりして一瞬戸惑ったりすることがあります。
さらには武術における「はやさ」を考えさせられるなかなか興味深いチェコ戦でした。
結果は日本の大勝利となりました。
おめでとうございます!
「多分、花粉症、多分、花粉症、多分花粉症発症〜♪」
お笑い芸人やす子さんのラップに合わせたわけではありませんが、3月1日、そうです。まさにこの日です。多分ではなく完全に花粉症発症しました。
クシャミが止まらず
目が痒い
頭はボーッとしたまま
とめどなく流れ出る鼻水
ティッシュの大量使用
とうとう赤鼻のトナカイ(「肌うるる」ローションティッシュに変えました)
外出時のメガネ&マスク&帽子絶対着用
しかし花粉症でクシャミをした時に斬り込まれたら絶対に斬られる・・・
クシャミで不覚をとるわけにはいかぬ
花粉症対策最優先
そんな訳で花粉症対策第一弾はワセリン防衛軍出動!
鼻の穴、目のまわりにワセリン塗りまくり
これ、そこそこ効果あり。
もちろんマスク併用は欠かせませんが。
稽古が屋内で良かった〜と思う今日この頃です。
意外にも高名な武術家の先生の中には子どもの頃は「スポーツはダメだった」という方がいらっしゃいます。
本当なんでしょうか?
あんなすごい動きが出来るのだから、さぞかしスポーツも出来ただろうと思ったりしますが・・・
確かに一般的なスポーツと武術の違いは大きいと感じます。そもそも同じジャンルで比べることが間違っているのかもしれません。
発明家のエジソンは小学生の頃には教師から「too stupid to learn anything」と言われ続けたそうです。大人になってからも彼はいろいろと常識外れなことをやらかしてます。でもそれが発明家としての「能力」だと考えれば納得できます。
その人の「能力」がどこで活かされるかと言うのは重要です。活かす場を見つけられた人は幸せです。
また評価されていない「能力」の中には時代が変わると違った評価になるものがあります。
例えば昔はゲームが上手な「能力」などは今とは全く違う評価でした。
最近、テレビによく出るフワちゃんは芸人時代は全く評価されなかったそうです。しかしYouTuberとして成功しました。昔も今もやっていることはあまり変わっていません。
世の中には時代の評価が追いついていない「能力」を持った人がまだまだたくさんいるのではないかと思っています。
人事面談などで家柄やルックスで評価したといわれると不当に感じますが、「能力」で評価したと言われると途端に真っ当に感じてしまいます。
しかしその評価は一体いつの、どんな場の、どんな「能力」を評価しているのでしょうか?
静稽会のOさんは剣術稽古の時に遠間から大きく踏み出して、いきなり近間に入ってくるので、約束稽古が上手く成り立たないことがあります。
それはOさんの体が「約束」よりも相手を確実に「斬る」ことを無意識に優先しているからだと思っています。
政府軍抜刀隊で斬り合い(西南戦争)経験のある直神影流の隈元実道は
「我が鍔拳にて、敵の頭まを打割ると覚悟して、深く踏み込みたるとき、漸く(ようやく)我が切っ先、敵の眉間に達せんとす。」
と言ってます。
私はどんな場合でも無意識に間合いを詰めて斬ってくるOさんが実戦では一番恐ろしい相手だと思っています。
沢木耕太郎氏の9年ぶりの長編ノンフィクション作品「天路の旅人」を読了しました。
感じるところ多々あり。
久しぶりの一気読みでした。
自然が神に、人が仏に見える作品です。
西川一三氏は第二次大戦末期、25歳でラマ教の蒙古人巡礼僧「ロブサン・サンボー」に扮して「密偵」として中国大陸の奥深くまで潜入します。さらに戦争が終わった後もそのまま旅を続けてチベットからインド大陸まで足を伸ばします。インドで逮捕されて日本に送還されるまでの足掛け8年の旅。壮絶な記録です。
家畜の糞を燃料にし、ヤク(牛の仲間)が小便した後の濁った川の水を飲み、豪雨の中で横になって眠り、雪の降りしきる野外で眠り、夜は脚を腹に引きつけ、猫のように丸くなって寝る生活。
そして帰国後は打って変わって淡々とした静かな日々。
盛岡で美容室や理容室に用具や消耗品を卸す店を経営して一年364日働き、昼はいつもカップヌードルと握り飯二つ、夜は帰り道にある居酒屋でつまみもなく酒を二合。家に帰って夕飯を食すという普通の生活を続けます。
潜入直後に「国家なき民族の末路は現世の地獄」と言っていた西川氏。
しかし日本が戦争に負けて自分が国家を失おうとしている・・・
帰国後、西川氏の中にあった日本はもうない・・・
彼はずっと「旅人」として生きるしかない・・・と思ったのかもしれません。
ちょっと小野田寛郎氏を思い出しました。
本の中にはブッダガヤ、サルナート、ラージギル、ナーランダ、バラナシ、ルンビニ、アグラ、デリーといった地名が出てきます。
大昔、三度も足を運んだ遠いインドの記憶が懐かしく蘇りました。
西川氏は2008年2月に89歳で亡くなりました。直接の死因は肺炎だったそうです。
「我が身世にふるながめせしまに」
百人一首で有名な小野小町の歌の下の句です。
上の句は
「花の色はうつりにけりないたずらに」
花の色が時の経過とともに色褪せていく様を自分の美しさが衰えていくことに重ね合わせて、はかなさを詠んだ歌だと教わりました。
これを現代の女性歌人が詠んだとしたら周りはどんな反応をするでしょうか?
共感するでしょうか?
受け入れる人たちの感じ方が違うので、もしかしたら全く違う受け取り方をされてしまうかも知れません。
これは昔の映画やテレビドラマ、小説、落語などでも同じことがあります。
先日、テレビで昔の演歌を放映していました。その歌詞は今では完全にアウトだろうなあと思いつつ、昔はこの歌詞になんとも思わなかった自分がいたことを自覚しました。それは良い悪いという意識とは別次元でもう毛細血管にまで行き渡り、体に染み込んでいるのだと思います。
演歌だけではなく普通の歌謡曲でさえ今聞いたら驚くような歌詞が沢山ありました。
私はそんな時代を生きてきたのだとしみじみ思います。
またあるベテラン俳優さんがこんなことを語っていました。
殺し屋役でタバコをポイ捨てするシーンの時にディレクターから「あっ!それNGです」と言われたそうです。殺しそのものよりもタバコのポイ捨てが問題だと言うのです。
「じゃあどうすりゃいいのさ!」
ベテラン俳優の嘆きです。
寅さんの映画にも「放送上不適切なせりふがありますが、作者の意図を尊重してそのまま放送します」というテロップが表示されます。
そう言う時代なのかもしれません。
星飛雄馬が父一徹に平手打ちされてもなんとも思わなかった私が見ている世界はきっと若い人たちとは見えている世界が違うのだと思います。
少なくとも私と同じ時代を生きてきた人は自分だけは違うなんて思わない方がよいかもしれません。
体に染み付いたものはそんなに簡単には落とせませんから。
また簡単に落とせたとしたら、その人のそれまでの人生はなんだったのか?とも思ったりもします。
我が身世にふるながめせしまに
くわばらくわばら(笑)
静稽会は都内4ヶ所と千葉県市川市で稽古をしています。
中でも2011年の設立以来、最も長い「歴史」がある稽古場が市川稽古場です。
市川稽古は普段の稽古以外にやや実験的な稽古も行います。現行稽古形のブラッシュアップや他流稽古のトライアルなどいろんなことを試します。
トライアルを繰り返し紆余曲折を経て元に戻ったりすることもあります。
「な〜んだ」と思われるかもしれませんが、それは決して無駄なことではありません。そこに深い意味やより新しい動きの発見があったりするので、先々の稽古の見通しがつくレベルアップした動きにつながっていきます。
最近ではドラマや映画を2倍速、3倍速で観るなど「タイパ」重視の人も多いようですが、ゆっくり腰を据えて向き合い、じっくりと稽古を味わうのも良いものです。
もしかしたらこれが一番近道なのかもしれません。
達人が辿った道を教わったとしても結局それは他人が辿った道ですから。
そう言えば市川には創建が平安朝にまで遡る葛飾八幡宮という古い神社があります。宇多天皇の勅願によって京都の石清水八幡宮より勧進し、下総の国総鎮守として鎮守したのが始まりだそうです。
市川稽古はそんな歴史ある葛飾八幡宮に見守られています。
ちなみにこの神社には樹齢1200年の大きな千本公孫樹(せんぼんいちょう)や立派な随神門などもあります。
静稽会は1月15日に総会を実施しました。
コロナの影響で2021年、2022年の総会は実施出来なかったので久しぶりの総会です。
静稽会の総会は1年間の決算報告、活動の振り返りそして新年会が目的です。
今年こそはなんとか総会を実施したいと思っていました。
ただ諸般の事情で決算報告が間に合わない状況だったのですが・・・
Mさんのご尽力でなんとか決算報告ができました。
ありがとうございました!
そして新年会にはゲストの方々にもご参加頂きました。
翡縁会の多々良先生、広原さん、武術仲間の春原さん、いつもありがとうございます!
多々良先生が翡縁会HPに静稽会新年会のことを書いてくださいました。
(詳しくは下記の翡縁会HPブログをご覧下さい)
「稽古は健康にいいのか?」
これは新年会での春原さんの
「稽古は健康にいいって言うけど、実際は稽古が体にいいんじゃなくて、年齢がいくと稽古をするためは体調を整えなくてはならなくなる。だから結果的に健康にいいってことなんだよね。」
との言葉を受けたものです。
私も彼の言葉に共感しました。
武術稽古は本来は非日常に備えるものですが、日常に取り込めれば健康に良いものになるはずです。
ただ稽古が非日常のままではおそらく健康に資することにはならないでしょう。
静稽会新年会に集まった方々は日常の中に稽古を取り込んでいる方々なんだと思います。
老化が日常になりつつある私にとって稽古は日常の大事です。
NO 稽古 NO LIFE
自転車もヨガも坐禅も読書も映画、落語、美術鑑賞、そして稽古も大事な日常です。
<翡縁会ブログ>
https://hien-kai.blog.jp/archives/18654320.html?utm_source=blogreaderoa
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
初夢は一年の吉兆を占うと言われています。
私の初夢は刀をいただきました。
それも田村正和の遺刀・・・というか「眠狂四郎」の刀
なぜ私になのかは不明。
なにしろ夢ですから。
「眠狂四郎」(柴田錬三郎原作)は転びバテレン(宣教師)と大目付の娘の間に生まれたハーフという設定です。
眠狂四郎の愛刀は豊臣秀頼の遺品とされる妖刀「無想正宗」
(もちろん架空です)
どんな刀なのか?は良くわかりませんが想像すると・・・
正宗というからには沸出来?
刃文は大乱れか濤乱か?
反り浅く、長寸、身幅は広い?
美濃伝と相州伝の特徴を兼ね備えていることや豊臣家の遺品ということも踏まえると刀の設定は妖刀村正の方が良いような気もしますが・・・
号も「夢想村正」とか?
眠狂四郎だけに敵が眠くなる刀だとバッチリです。
眠くなる刀?・・・眠そうな刀
刀業界では「眠そうな刀」というのは刃文の境目の匂口がハッキリしない刀のことです。あまり良い意味では使われません。
匂口がハッキリしているということは焼きの入っている部分と入ってない部分がはっきり分かれているということなので、昔から「眠そうな刀」の方が硬度と靱性の変化が急激でないため衝撃に強いと言われています。よって戦闘刀には適しているのだと。
夢の中の眠狂四郎の刀はもしかしたら「眠そうな刀」だったのかもしれません。
いや「寝夢想な刀」(笑)
その刀で斬りまくった眠狂四郎。
使う必殺技は「円月殺法」
確かに「満月殺法」じゃあサマにならない。
眠狂四郎を演じるのは
市川雷蔵か?
田村正和か?
好みの分かれるところです。
どちらも歌舞伎に縁のある人ですけどね〜
個人的にはやはり市川雷蔵かな・・・
あっ!刀をいただいたのは田村正和の方でした。ごめんなさい!
ちなみに刀をいただく夢の吉兆はどうなのか?
調べてみました。
「刀をもらう夢はあなたに様々なよい出来事が訪れる大吉夢です」
だそうです。
「特にもらった刀が金色や白色に光り輝いていたり、見るからに立派な刀であった場合は、その意味合いが更に強くなります」
刀を抜かなかったので色はわかりませんでした。
刀装具等はごく普通の刀だったような気がします。
それでも大吉夢ということで・・・
本年も必ず良いことがあると信じています。
12月25日で2022年最後の稽古が無事に終了しました。
まだまだコロナ不安の中ではありますが、楽しく稽古できたことは何よりでした。
静稽会は2011年1月1日に設立されました。
2022年12月31日で満12年。来年は13年目になります。
この12年間にいろんなことがありました。
設立直後の2011年3月11日に東日本大震災が起きました。
稽古をしていた施設は全て閉鎖になりました。
そんな中、Aさんのご厚意で会社の倉庫をお借りすることが出来ました。またOさんが畳を揃えてくれて稽古ごとに畳を敷いてなんとか稽古を続けることが出来ました。本当にありがたかったです。
2020年からしばらくはコロナ禍でこちらも稽古施設がほとんど閉鎖しました。東日本大震災とは異なり、感染リスクがあることから施設の問題だけではなく、人が集うこと自体が出来なくなったことで稽古は一時期ほぼ壊滅的な状態になりました。それでも感染リスクに最大の注意を払いながら、開いている施設で散発的ではありましたが稽古を継続しました。
いろいろな武術団体の方の話を聞くと、特に高齢者が多い会はそのまま団体自体が解散になってしまったところも多かったようです。所属していた人たちは稽古が出来ないまま体力の衰えが進み、コロナ禍がおさまった後でも稽古をする場所も体力も無くなってしまったとこぼしていました。
「年をとると体は自分が思っている以上に早く衰えることを知りました。でもすでに後の祭りです」
コロナ前には重い刀を自由自在に操っていた方の言葉です。
お陰様で静稽会は稽古再開後には全会員が稽古復帰することが出来ました。
稽古の拠点があるということはありがたいことです。また稽古相手がいるということはありがたいことです。
二つの大きな困難を経てそのことが身に染みました。
稽古が出来る環境に感謝しつつ、来年も楽しく、静かに稽古を続けていきたいと思っています。
なにとぞご支援、ご協力よろしくお願いします。
良いお年を!
私が稽古に使う差し料は全て直刃です。
「直刃が好きなんですよ」
なんて言うとなんだか勘違いをしてしまう人もいるようで
「この人は真っ直ぐな心の持ち主なの?」
なんて・・・ことはありません(笑)
それに実は直刃の刃文は真っ直ぐではありません。
刀は立てて眺めるのが普通ですが、私の刀は横に倒して眺めます。
直刃は刀の反りに合わせて緩やかに弧を描いています。
その様が水平線に見えて何となく穏やかな気持ちになれます。
昔、丘の上から見た懐かしい水平線が蘇ります。
地鉄の鍛え肌は波濤に見えてきます。
鎬を超えて溢れ出てこないように樋は引いてません。
海は広いな♪ 大きいな♪
月がのぼるし♪ 日は沈む♪
海は大波♪ 青い波♪
ゆれてどこまで続くやら♪
そして夜になると水平線の上には星雲たちが現れて光を放ちます。
刀の中に宇宙があってもいいじゃあないか!(岡本太郎風)
水平線は本来「水平」のはずなのに鳥瞰の水平線はなぜか緩やかな弧を描いているように見える不思議。
直刃なのに直線ではなく曲線になる不思議。
刀の中には森羅万象が存在してます。
やっぱり刀はいいなあ
もしかしたら頭の片隅で昔に読んだ以下の文章が直刃をさらに後押ししているかもしれません。
「焼き巾の広い華やかな、そして焼き刃の硬い刀、これは昔からいわれているごとく戦陣には禁物と思われる。」
「細直刃(ほそすぐは)中直刃(なかすぐは)、その他一たいに焼き巾がせまく、そのうえ匂(におい)出来のもの、世間でよくいう焼きの甘そうな刀、ねむそうだといわれる刀には刃こぼれは少なく、しかもよく切れるものがある。そうした点では古刀は断然よい。新刀でも肥前刀あたりには、その規格があてはまったものがある。」
成瀬関次著『実戦刀譚』
昭和16年に書かれた書物です。
昔、戦場には家にあった古い刀を作り直して軍刀として持って行った人たちも多かったと聞いています。そんな日本刀(軍刀)の修理の記録と考察が中心に書かれています。
軍刀の戦果は修理に来た本人又は代理人の話や自慢話、部隊での伝聞なので、話が過大になる事を前提に読む必要があります。
さらに時代背景から、軍刀の戦果は戦意昂揚にも使われる内容だという事も考慮する必要があるかもしれません。
それでもそんな文章に引っ張られて私の差し料は肥前刀の直刃というわけです。
もしかしたら私は直刃のように素直なのかもしれません。
年の瀬になると「一年を振り返る」と言いますが、最近では年のせいか振り返っても思い出せない・・・(笑)
「大人になるとあっという間に一年が過ぎるのはなぜ?」
以前、「チコちゃんに叱られる」でやってました。
チコちゃんの答えは
「人生にトキメキがなくなったから〜」
時間の感じ方は心がどれくらい動いているかが重要らしいです。
確かに「トキメキ」や「ドキドキ」を忘れてしまった大人たちの一年はあっという間に過ぎてしまうのかもしれません。
先日、翡縁会の方々がブログに「年末発表会」の感想を書かれていました。
これらがそれぞれとても良くて心を動かされました。
今年10月に静稽会は一般の方々の前で演武しました。
そこに至るまでの日々、その後の思いなどがそのブログに書かれたことと重なりました。
中でも
「そう、これが私の現在地」
私が言いたかったことを一言で言い表してくれました。
「現在地」を知ってこそ、これから踏み出す方向も決まります。
おそらくただ単に「年末発表会」の感想を読んだだけではこれほど心を動かされることはなかったのではないかと思います。
やはり自身の中に火種が無いとどんなに火薬を入れてもスパークは起きません。
翡縁会の方々の心躍る様子が伝わってくる言葉に羨ましさを感じつつ・・・
果たしてこの一年で私はどれほどの「トキメキ」を感じられたか?
「ドキドキ」する時間を過ごせたか?
果たしてどれだけの時間を生きたか?
しっかり振り返りたいと思います。
私のお墓の前で泣かないでください〜♪
「千の風になって」を歌うテノール歌手の秋川雅史さんは彫刻家としても有名です。
その秋川さんは歌の練習はテレビを見ながらやるそうです。
私はてっきりプロ歌手の方は静かなところで集中して練習するものだと思っていました。
秋川さんはこの方が良い練習が出来ると言います。
また彫刻も歌を歌いながら適当にやるとバランスの良い像が彫れるそうです。
例えば手ばかり気にしていると手が全体に比して小さくなってしまうそうで、気を全体に散らしながらやると良いものが出来ると言います。
居合でも例えば歩き方ばかりに気をとらわれると動きがロボットの様になってしまうことがあります。
細かなところまで神経を行き渡らせることは大切ですが、そればかりに集中していると「イップス」に陥る可能性もあります。
それまでスムーズに出来ていたことが突然出来なくなる「イップス」。
「階段イップス」が有名です。
ある日突然、リズミカルに階段を降りられなくなります。
段差を意識し過ぎて降りようとするとぎこちなくなったり、手すりがないと降りられなくなったりします。
私も以前、足元を見ながら長い階段をリズミカルに降りていた時に突然、足をどう出したら良いかわからなくなって落ちそうになったことがあります。
ああこれが「階段イップス」かと思いました。体験した人は結構いるかもしれません。
稽古でもあまり意識を一箇所に集中し過ぎるのも考えものです。
長いことコロナなどの影響で出来なかった静稽会試斬会が先日ようやく実施されました。
いつもながら思うことですが、刀はなかなか自分の思う様にはなりません。
歌舞伎に「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)」通称「石切梶原」という演目があります。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の中で歌舞伎役者中村獅童さんが演じた梶原景時にまつわる刀の目利き、試し斬りの物語です。
景時が鶴岡八幡宮の大きな石の手水鉢を真っ二つにするシーンが見せ場です。
「鎌倉殿の13人」では景時のこんなセリフがありました。
「刀は斬り手によって名刀にも鈍(なまくら)にもなる」
「なまくら」とは切れ味の悪い刀なのことです。
ドラマ的には意味深なセリフですね。
「石切梶原」のように元々の試斬(試し斬り)というのは刀がどれほどの切れ味があるかを試すことを言います。
静稽会の試斬会で試されるのは刀ではなく斬り手です。
技術だけではなく斬り手の心も試されます。
単なる刃筋の確認ではなく心を磨く稽古と考えています。
「石切梶原」の景時は一体、何を斬り、何を斬らなかったのか?
景時にとっての「名刀」とは?
そんな目で歌舞伎「石切梶原」を観ると面白いかもしれません。
静稽会試斬会もなんでも斬れば良いということにはなりません。
自分の差し料を探し始めた頃、ある刀屋の店主にこんなことを言われたことがあります。
「きれいと美しいの違いがわかりますか?」
もしかしたら店主から見て当時の私はきれいな刀にばかりに反応すると見られていたのかもしれません。
その後、多くの刀を見ることで店主の言った言葉の真意が多少わかるようになりました。
刀剣鑑定会にも通い先生方や諸先輩にもたくさん教えていただきましたが、むしろいろいろな刀屋の店主から教えていただいたことの方が多かった気がします。
先日、東京都立美術館で「岡本太郎展」を観てきました。
岡本太郎はこんなことを言っています。
「きれいと美しいは正反対なんですよ」
もしかしたら刀屋の店主の言葉は岡本太郎の受け売りだったかも知れません(笑)
岡本太郎は大きく見開いた目で両手を広げながら熱く語ります。
「心が宇宙に向かって飛び散るんだ!」
そしてあの有名な言葉。
「芸術は爆発だ!」
以前、作刀現場を見学させていただいたことがあります。
作刀は文字通り「爆発」でした。
火床からうなりをあげる炎と太陽の様な玉鋼。
皮膚が焦げるほどの熱さと張り詰める緊張感。
そこに刀鍛冶の気迫が加わります。
狭くて薄暗い空間で目の前まで火花が飛び散り、玉鋼を叩く大きな音が体を突き抜けていきます。
ある人の頭に鉄の火花が落ちて大慌ての場面もありました(笑)
明るいところに出てよく見ると、服には焦げ跡がいくつも・・・
美しい刀が出来上がるにもやはり「爆発」が必要なようです。
「まっさらな目をもて!
そして目的を捨てろ!」
これも岡本太郎の言葉です。
好きな言葉です。
「日本刀を生み出す奇跡の鉄」と言われる玉鋼。
たたら製鉄で生み出される鉄は1000年もつと言われています。日本刀の他にも茶の湯で使われる茶釜や寺院や仏像など文化財の修復には欠かせないくぎやかすがいなどにも使われます。
少し前ですが、その玉鋼作りを題材にしたNHKドキュメンタリー番組「玉鋼に挑む」を観ました。
玉鋼作りはまさに戦いの連続です。
画面にはトラブルの連続で苦悩する職人たちの顔が映し出されます。
それでもそこにはモノづくりに参加している嬉しさを隠せない顔もありました。
玉鋼作りの操業開始前に釜を作るための下地の床を3日かけて作り込む下灰(したばい)という作業があります。これは全員参加で力を合わせ、声を合わせて行います。
炎で焼けた顔
苦しそうな顔
嬉しそうな顔
楽しんでいる顔
どれもいい顔をしています。
総監督である村下(むらげ)の木原明さんは当時86歳でした。後継者育成の不安に加えて、日本で唯一「たたら製鉄」を行なっているこの日立金属は投資ファンドに売却されることが決まっています。
日本刀にも高齢化と経済効率の波が迫っています。
すでにもう遅いのかもしれません。
川崎晶平刀匠にお願いして私に日本刀を遺した「日本刀ど素人」の父は亡くなる直前にこんなことを言ってました。
「頼んだ日本刀は当初は随分と高いものだと思ったが、これには神社などに奉納される日本刀を作る分も含まれているんだと知って納得がいった」
当時はこれが「日本刀ど素人」の父なりの理解なんだと思ってました。
しかしあの父がなぜ古い刀ではなく、あえて現代刀を遺したのかを考えると、もしかしたら父は全てを分かっていたのかもしれません。
大刀剣市が3年ぶりに開催されました。
それまでは良く顔を出していた大刀剣市でしたが、コロナで開催されなくなってから3年。その存在すら失念してました。
今年はあることがキッカケで導かれるように行ってまいりました。
予想通り外国人の方が多かったです。やはり円安はこんなところにも影響を及ぼしているのかと考えつつ、今回は主に刀装具をメインに探索してみました。
単眼鏡や拡大鏡も持参して準備万端です。
2100円の入館料を支払ってしっかりと楽しんでまいりました。
やはりいいなあと感じるものは鉄自体に色気があります。
なんとも言えないツヤ(艶)とネットリ感。
これは見るだけでなく触ってみないと分からないんです。
博物館や美術館では絶対に出来ないこと。
絵画などとは違って触ってこそわかる「芸術」。
陶磁器などもそうかも知れません。最近、陶芸を始めてそう感じるようになりました。
日常生活の中で使われることを前提とした陶磁器は使う人の手に馴染む大きさにしたり、指や口が触れる部分に工夫を施したりと心地よい触感を考えて作ります。
良い刀装具も触ると手に心地よさが伝わってきます。
刀も同じでやはり良い刀は茎(なかご)を触ってみるとなんともいい感じがします。
今回は私の購買心を奮い立たせるものはありませんでしたが、眼福なるものはたくさんありました。
そしてそんな「芸術」たちに触れて「手福」にも満たされました。
また我が家の家宝刀を作ってくれた川崎晶平刀匠にも久しぶりにお会いしてご挨拶することが出来ました。
その刀に触れると亡父を思い出します。
刀が出来上がった時に父と一緒に「晶平鍛刀道場」に受け取りに行きました。
父も触れた茎に触れるとその時の情景が浮かんで来ます。
受け取ったばかりの拵えのない刀をその場で振ろうとした父を慌てて止めた懐かしい思い出です。
モノには魂が宿ると言われますが、何となく分かるような気がします。
ひざの裏側のことを「ひかがみ」と言います。
漢字では「膕」と書きます。
私は漢字検定1級を持っていますが書けませんでした・・・
調べてみるとどうも漢字検定対象外の漢字らしいと知って少しホッとしました。
一体、どんな基準なんだ(笑)
武術の稽古をしていると体の裏側を意識したり、動かしたりすることが多いと感じます。
例えば首の後ろだったり、肩甲骨だったり、ハムストリングだったり、「ひかがみ」もよく使います。
薩摩の剣を使うHKさんは「気配は両耳の後ろあたりでとらえる」と言っていました。この話を聞いた時はセンサーが前ではなく裏側にあるということに驚きましたが、考えてみれば人間の前側にはすでに別のセンサーがありますので気配は裏側でとらえるというのも頷けます。
さらに声を生業にしているHJさんは腹式呼吸についてこんなことを言います。
「腹式呼吸はむしろ背中側が膨れる」
腹式呼吸が腹に空気を入れることだと勘違いしている人は結構います。
腹式呼吸の仕組みを考えるとHJさんの言葉に納得します。
また歌のうまさで定評のある玉置浩二さんもこんなことを言ってます。
「音は背中で響かせる」
確かにHJさんの声は遠くにいても四方から包み込まれるような声の届き方がします。
さらに仏様や神様から発せられる光明を表現する「光背」もその名の通り背中側から出ています。
裏側を意識してもっと使いこなすことが出来れば、さらに稽古が楽しくなるかもしれません。
昔、ある知り合いの年配男性がこんなことを言っていました。
「私は女性の膝の裏側が最も美しいと感じます」
その方はその時すでに達人の域に入っていたのかもしれません。
韓国の梨泰院でたくさんの若い人たちが亡くなりました。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
現場は大変悲惨だったと伝えられています。
テレビではそんな悲惨な現場で必死にCPR(心肺蘇生法)を施している多く人たちの映像が流れていました。
考えたくはないですが、日本でこの事故が起きていたら果たして現場でどれだけの人がCPRを施すことが出来たでしょうか?
CPRのやり方さえ知らない人は燃え尽きようとしている命を前にただただ立ち尽くすだけです。たとえCPRのやり方を知識だけで知っていたとしても、おそらく実効性のあるCPRは難しいのではないでしょうか。
それではなぜ韓国ではこれほど多くのCPR実施が可能だったのか?
一つは学校でCPR教育が実施されていたこと。そしてもう一つは兵役義務です。兵役中にCPRは必須科目です。
韓国梨泰院の例を見てもわかるように、いつも救急車が来てくれて、救急隊員の方が助けてくれるとは限りません。
なるべく多くの方がCPRができるようになれば身近な人だけでなく事故や事件に遭遇してしまった人を助けられる可能性が高くなります。
以前にも書きましたが、いざという時のために日々鍛錬し、常に備えることこそ本来の武術の姿であり、CPRは武術の必須科目だと思っています。
名前には込められた思いがあります。
おそらく私の名前も両親や祖父母が思いを込めてつけてくれたのだと思います。
残念ながら私は名前のようにはなれませんでした・・・(笑)
もしかしたらこういう人は意外と多いかも知れません。
会社の名前などもそこに込められた思いがあります。
会社名や創業者、設立年月日などから会社が辿ってきた道のりを想像したりするのも好きです。
例えば戦前の国策会社であった「日本製鐵」が戦後の財閥解体で「八幡製鐵」と「富士製鐵」となり、その後に両社が合併して出来た会社が「新日本製鐵」です。さらに住友金属工業と経営統合して「新日鐵住金」になりました。そして今は「日本製鉄」に名前が変わってます。
元に戻った?
いえいえ読み方と漢字が違います。
戦前は日本製鐵(にほんせいてつ)。今は日本製鉄(にっぽんせいてつ)です。
「日本製鉄」のように時代に合わせて名前が変わる会社もあればずっと変わらない会社もあります。
どちらも名前に託す思いはそれぞれです。
翡縁会さんはHPに会の名前の由来を載せています。
「いにしえより赤い羽毛の鳥(カワセミ)を翡と呼ぶと聞きました。会名は、赤羽の地に縁あって集い、稽古をさせていただくようになったことに由ります。」
ご縁を大切にされる多々良先生らしい会の名前です。
さあ静稽会ですが、その名の通り「静かに」「稽古する」会です。
当時は稽古以外のことに心を囚われたくないとの思いもありました。
また「稽」は「稽(かんが)える」とも読みます。
「稽える」は物事を突き詰めて考え合わすことです。
そして「稽古」は古(いにしえ)を稽(かんが)えるになります。
藤沢周氏の小説「武蔵無常」はこんな最後で終わっています。
「静かとは、また、十方世界のすべてがたえず生まれていることの謂(いい)でもある」
これいいなあ〜
これからも静稽会の名前は変わらないですが、「たえず生まれている」会でありたいと思うのであります。
江東区民まつりの静稽会演武について翡縁会HP稽古ブログに多々良先生がコメントを書かれていました。
大変おおらかな心で見て下さりご評価くださいました。嬉しい限りです。
ありがとうございました。
さらに後日、多々良先生と直接お話する機会を頂きました。
長時間に及びいろいろなことを伺いました。
細かい技術的なことから稽古内容や指導内容、武術全般への幅広い知見等々、さらには少し武術から離れた話もありました。
先生はいつもニコニコしながら武術のように理想的な力の抜き具合で話をされます。
そして「なるほどそういうことか〜!」というようなそんな単純な結論にはなりません。
先生は「事細かに、具体的に教えることが必ずしも良い事にはならない」と言います。
「答えはどこまでも自分で探すもの」
その上でヒントだけを絶妙なタイミングでそっと差し出すような「啐啄同時」が理想の指導であり、先生自身もそうありたいとおっしゃっていました。
今回もいくつか重要なヒントをいただいたと思っています。
直ぐに答えは出ませんが・・・(笑)
先生は常に何か新しいことに取り組んでいます。
最近ではまた新しいことをされているようです。
これまでもそうでしたが、先生が新しいことに取り組む時に志向する方向性は私とは全く真逆です。
しかし真逆だからこそ先生の武術は私には魅力的に映るのだと思っています。
大変貴重な「稽古」でした。
これからもよろしくお願いいたします。
ありがとうございました!
<翡縁会稽古ブログ>
https://hien-kai.blog.jp/archives/17212278.html?utm_source=blogreaderoa
お陰様で10/15の江東区民まつりでの演武披露を無事に終えることが出来ました。
お忙しい中、翡縁会の多々良先生がご高覧下さいました。
ありがとうございました!
またいつも静稽会稽古総見で演武披露して下さる千葉様もお仕事の合間に駆けつけて下さいました。
感謝です!
この日はご縁のある方々とも久しぶりにお会いすることが出来ました。
嬉しかったです!
もはや当日は演武が上手くいくかどうかは遥か彼方に飛んでいっておりました。
この日に至るまでの稽古こそが本体なんだと改めて感じていたからです。
当日はただ道を辿るだけでした。
今回は一般の方々への演武披露は初めての経験でしたので、戸惑うことばかりでした。
演武形の選定、時間配分、組み合わせ、BGMの選定、演武場の広さに対する感覚対応、刀の管理などなど想像力を働かせながらみんなで練り上げていく過程もまた楽しい時間でありました。
「演武披露は淡々と普段の稽古通りにやれば良い」
そんな超然とした向き合い方ではなく、見て頂く一般の方々にもより分かりやすく伝わるようにするべきだとの意見が出て工夫を重ねました。
形の精度を磨くことよりもその形の意味を自ら掴んで体現することを優先しました。
そしてゆっくり動くことで、より形のエッセンスをあぶり出し、その輪郭を明確にしていきました。
その形の何が肝なのか?
形が伝えたいことは何か?
あれをもう少し、これももう少しと稽古に向き合いました。
わずかでも形の本質に迫る稽古が出来たのではと思っています。
そして何よりそれは楽しい時間でした。
皆さん本当にありがとうございました!
いくつになっても、どんな場でも人様の前で何事かを披露するというのは緊張するものです。
そして披露を迎えるまでの時間の中でいろいろ考えたり迷ったりします。
そんな時にNHK番組「最後の講義」という柄本明さんの演劇講義を観ました。
柄本明さんは「怪優」と言われています。ひょうきんな役から凄みのある役までこなす幅広い役者さんです。また個性的な役者さんを抱える劇団東京乾電池の座長さんでもあります。
所属劇団員のテレビ出演も多くなったり、息子さんたちも活躍して、最近では大物感も漂います。
そんな柄本明さんが演劇をもっと上手くなりたいと思っている人たちに講義をした番組です。
柄本明さんは集まった人たちにトライアルでいろいろなお芝居をさせてみます。
そして「それでいいの?」と繰り返します。
戸惑い、悩みの底に沈んだ人たちに彼はこんなことを言います。
「上手くいかない時にぶち当たった時って・・・そういう風にはなかなか考えられないんだけど、ものすごく面白いんじゃあないかね?上手くいかない自分・・・ところが人間は上手くいっている自分が好きだよね。だから考えるの、考えるの、考えるの」
講義の中には「見巧者」という言葉も出てきます。
見ることの巧みな人?
これもヒントなんでしょうか?
彼の言葉が続きます。
「上手くいった自分が好き、上手くいかない自分は嫌いさ。でも上手くいかないっていうところになんかきっといろんなことがある。だから考える。それから(演劇は)一人でやっているのではないということ。これがものすごく大事ね・・・そこで何かが生まれる」
悩むこと、迷うこと、考えること、そして周りの人とのやり取り、彼は全てを含めて演劇を捉えていることがわかります。柄本明さんは本当に演劇が好きなんだなあと感じさせるシーンでした。
戸惑い、悩みの底に沈む人たちの姿と来週には演武披露の場に立つことになる自分が重なります。
長く生きてきた自分が普段の稽古以上のものは出てこないと自分自身に言い聞かせます。
早いものであっさり9月が終わってしまいました。
そしてNHKの朝ドラ「ちむどんどん」も終わりました。
観ていない人ごめんなさい!
「ちむどんどん」には不思議な登場人物が出ていました。ドラマに一貫して出演していた人物です。
「まもるちゃん」
いつもTシャツにオーバーオールで本を読んでいるおじさん。
終始セリフはありません。
いや最終回近くで一言だけありましたね。
「まーさんや」(おいしい)
私が小学生の頃にも子供たちから「かべちゃん」と呼ばれていたおじさんがいました。おそらく30歳くらい?
(子供から見たら立派なおじさんです)
いつもTシャツに野球帽をかぶって子供たちと一緒に遊んでいる人でした。「かべちゃん」もほとんどしゃべりません。
今なら心配する親もいるかもしれませんが、当時は全くそんなこともなく、「かべちゃん」は毎日私たち子供と遊んでいました。
「まもるちゃん」を見た時に「かべちゃん」を思い出しました。
のちに「かべちゃん」の由来は苗字の岡部(おかべ)の略だと知りました。
そう言えば私が宮古島を旅行した時、ところどころ道路に警察官のマネキンが置いてありました。その警察官の名前が「まもる君」。
もしかしたらドラマの主人公家族を「見守る」という意味なんでしょうか?
ちなみに私はずっと「かべちゃん」は「壁ちゃん」だと思っていました。
虫取りで茂みなどに入る時などはまさに「壁ちゃん」になってくれてましたね。
おおらかで優しい時代でした。
静稽会はどこまでも稽古自体を目的とする会です。
上部団体もありません。
段位も序列もありません。
試合もありません。
勝ち負けもありません。
ただひたすら稽古を静かに楽しむ会です。
そんな静稽会ですので、これまで一般に演武を披露したことはありません。
(テレビの歴史番組で一つの形が映像として「披露」されたことはありましたが)
静稽会のあり方自体は今後も変わることはありませんが、敬愛する翡縁会様の奉納演武を拝見して感じるものがあったことやたまたまIさんからのご縁もあって、この度「第40回江東区民まつり」で演武を披露させて頂くことになりました。
静稽会は奉納演武ではなく一般の方々に向けて演武披露させて頂きます。
これもまた静稽会らしくて良いのではないかと思っています。
これを機会に一層稽古の楽しさを感じてもらえれば嬉しいですし、一般の方々が少しでも居合や剣術に興味を持って頂けたら最高です。
何卒、ご指導、ご支援のほどよろしくお願いします。
・日時:2022年10月15日(土)12:00演武開始予定(演武は約30分程度)
・場所:木場公園木場口「区民ふれあいステージ」(設営)
一刻 <手に筆>
木彫家・前原冬樹 作
ここで作品をお見せできないのが残念です。
興味のある方はインターネットで検索などしてみて下さい。
筆を持って作業する自らの手を写した木彫の写実を突き詰めた超絶技巧の作品です。しかも一本の木から接ぎ目無しで彫り出した作品と聞くとさらにびっくりします。
緊張の中心である手と筆の部分から離れていくにつれてその存在そのものが消えていくように手首から腕へと木材そのものがむき出しになっていきます。
凝縮された緊張とそこから解き放たれた緩和の対比が素晴らしい作品です。
木彫家の前原冬樹さんは元ボクサーです。
10年間リングで闘い続けたそうです。
そんな彼が選んだのは7浪の末、32歳での東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻入学。
その後、木彫に転じて日常の中の朽ちていくものを中心に作品を作り続けます。
朽ちていくものへの愛着と生きることへの執着と緊張、そこから解き放たれようとするエネルギーが作品に溢れています。
格闘家であったことが作品に反映されていると感じます。
作品の凄みは彼の生き方そのものです。
いろいろな意味で参考になります。
ちなみに彼の作品の中には一刻 <刀>もあります。
こちらも凄まじい作品です。
日経新聞朝刊にこんな記事が出ていました。
子門真人「およげ!たい焼きくん」21秒
YOASOBI「夜に駆ける」0秒
何のタイムでしょう?
昔と今のイントロの長さ比較です。
最近は聴き放題のサブスクの普及で好みの曲を次々再生するためイントロが待ちきれずにスキップしながら好きなところだけ聴くんだそうです。その結果がイントロ短縮もしくはイントロがゼロになっていくそうで、海外では曲自体すら短くなっているとか。
ドラマも1.25倍速で観るのが標準になっています。ドラマの間とか情景描写は「無駄な時間」と捉えられてしまうようです。
現代は何よりタイパ(タイムパフォーマンスの略。言葉すら短縮です)が大事にされる時代らしいです。
でも時間を有効に使いたいと追い立てられて得られるものは果たしてどんなものなのでしょうか?
これまで何度も書きましたが、
「私はダンサーになりたかった」
これは今や私の鉄板ネタです(笑)
いえ、本当のことです。
まあダンサーと言っても私がなりたかったのは暗黒舞踏ダンサーです。
最近はダンスも高速ダンスが主流なのか、ダンサーたちはものすごいスピードで体を動かします。
芋虫やナメクジようにゆっくりと動く不気味な暗黒舞踏は見た目よりもはるかにハードです。
そしてゆっくり動くとはどういうことかを教えてくれます。
どうしても慣れない動きを稽古する時には速く動いて誤魔化してしまいがちです。
誤魔化されるのは自分自身です。
昔、私もよく言ってました。
「もう少し速くやれば出来るんだけどなぁ・・・」
いや、ハッキリ言ってそれは出来ていません。
本物の速さで動くことが出来るのなら、ゆっくりでも出来るはずなんです。
しっかり原理原則を通して使うべきところを使えば、ゆっくりでも出来るはずです。またそれを確認するためにもゆっくり動きます。
一体何が足りないのか?を深く考える稽古が続きます。
最近の静稽会は「ゆっくり動く」ことをテーマに稽古しています。
「スローなブシにしてくれ!」
以前に「うつ九段」というドラマを観たことがあります。
将棋棋士の先崎学九段がうつ病になってから復帰するまでの実話をドラマ化したものです。
主役の先崎学役は安田顕さんが、妻役は内田有紀さんが演じていました。
うつは軽く考えると大変なことになります。周りの理解が必要です。ドラマでは本人だけでなく周りの苦悩もしっかり描かれていました。
そんなドラマの中で将棋の「美しい手」という言葉が良く出てきます。
将棋は勝つだけではなく、美しい手があるらしい・・
そう言えば、一緒にワインを飲みに行く東京工業大学数学科出身の友人は酔うとよくこんなことを言います。
「数学には美しい解き方がある」
「美しい数式がある」
へえ〜そんなところにも美しさがあるのか!
数学、いや算数の苦手な私には全くわかりません・・・
ただ勝つことや解くことは当たり前で、その上でさらに美しさを求めるという感覚はなんとなく理解出来ます。
命をかけた戦いだからこそ美しさが必要だという武者たちの感覚に通じるものがあるのかもしれません。戦国時代の武者たちが鎧兜や衣装に気を遣い、兜にさえ香を焚きしめたというのはそんな証なのではないかと思われます。
生きるか死ぬかの戦いの中で「名こそ惜しむ」武者たちは「いかに死ぬか」に重きを置いた訳で、勝つこと以上に戦いに美しさを求めたのかもしれません。
やはり美しさには相当な価値があるようです。
ちなみに数学科出身の彼は待ち合わせの場所を伝えるのに目印の建物などがない時には太陽の位置を使って説明してきます(笑)
サバイバルな時代には意外とこんな人が最後まで生き残るのかもしれません。
私は割と夜目がききます。
闇夜の戦いとなれば負けない気がします(笑)
これまで「夜目がきく」のは遺伝だと思っていました。母親もそうだったので。しかし最近はそれは遺伝だけとも言えないのではないかと思うようになりました。
あくまで私個人の考えです。
ある時、妻と月明かりの話をしていた時のこと、月明かりを感じる度合いがあまりにも違いすぎると感じたことがありました。
私は田舎育ちです。子供の頃はまだ街灯も少なく、ちょっと街中を離れると本当に真っ暗闇なところがたくさんありました。そんな田舎の月明かりは昼間のように明るく感じます。妻は「それにしても月明りが昼間のようだとはあまりにも大袈裟だ」と言うのです。
先日、世の中に「闇歩きガイド」と称する人がいることを知りました。
中野純さんです。「体験作家」とも称しているようです。
NHKの「SWICHインタビュー達人達」で片桐はいりさんと対談しているのを観て初めて知りました。彼は闇にこんな感覚を持つようです。
「はっきり見ない闇は楽ちん」
「よく見えない時間は必要」
「自分と闇との境目がなくなる」
「闇では何からも解放されていく」
そんな彼が言います。
「闇の中では全体視力が必要」
「目を凝らして見ようとせずにぼーっと見る」
ん?これはどこかで聞いたような・・・
確かに田舎の闇はあまりにも深くて、目を凝らして見ようとしても見えないのです。ぼーっと見て感じとるしかない。
そんな力は遺伝というよりも田舎の人の「知恵」?「訓練」?もしくは「こつ」?なのではないか?と思ったりします。
昔、都会育ちの妻が私の実家に来て夜の暗闇の深さに驚いたことがありました。そして真っ暗闇の中を懐中電灯も持たずに歩いている人がいることにもっと驚いていました。
そうなんです。田舎の人は真っ暗闇の中、灯り無しでも歩けます。
見えているのか?と言われると微妙です。半分見て、半分感じているのかもしれません。
何を?・・・気配を。
番組では片桐はいりさんが中野純さんと真っ暗闇の中、ナイトハイクをします。片桐さんは都会育ちです。全く見えないので四つん這いになって必死に登り続けますが、やがて木や花の香り、建物の気配まで感じとれるようになります。
全体視力のコツを掴んだ?頃にやがて月が出始めると
「昼間の明るさみたいですね〜」
実は2016年7月3日付けの静稽録でも書きましたが、片桐はいりさんは武術研究家甲野善紀さんともこの番組で対談しています。
さらに2021年1月22日付けの静稽録では「陰翳礼讃」で闇中の美しさについても書きました。良かったらHP下にあるサイトマップで遡ってみて下さい。
「刀屋」という落語の人情噺があります。
夕方、深刻な顔をした若い男が刀屋に飛び込んできます。
「とにかく斬れる刀をください!」
刀屋が備前の刀を勧めると若い男はこう聞きます。
「この刀は斬れますか?」
「刀はどれも斬れますよ」
備前の刀は高かったのか若い男はもう少し安い刀を求めようとこんなことを言い出します。
「そんなに斬れなくても二人だけ斬れればいいので・・・」
この落語を聴くと思い出すことがあります。
昔、Sさんが刀を買うのに付き合って欲しいというので某刀屋にお付き合いしたことがあります。Sさんは刀屋に入るなり気持ちのいい啖呵を切りました。
「斬れる刀をくれ!」
するとその刀屋はニヤリと笑って「ありますよ〜斬れる刀」と異様に身幅のある長い中華包丁のような刀を出して来ました。
落語の「刀屋」では若い男が人を斬るのだと察した刀屋はそっと木刀を出して思いとどまるよう説得していきます。
考えてみればたとえ刀屋でも深刻な顔つきで「斬れる刀をくれ!」と言われたら不審に思います。
あの時は笑顔の似合うSさんだったのでもちろん深刻な話にもならず、今となっては笑い話で語られます。
それにしてもあの時の刀屋は何が「斬れる」ことを想定して刀を勧めたのか?気になるところです。
結局、Sさんはその時に勧められた刀は買いませんでした。
しかし刀にとって「斬れる」ということがいかに特別で魅力的なことかがよくわかります。
刀に対する思いがすすむと刀は「斬れる」だけではないことに気がつくんですけどね。
落語の方の結末が気になる方は是非、落語を聴いてみて下さい。
静稽会のAさんは63歳です。会社の社長をしています。しかしある日、その社長業を全うした後に保育士になると言い出しました。
私はてっきり自身が経営する会社の中に保育園を作るための資格取得だとばかり思っていました。
しかしそもそもそんな年齢の男性が保育士試験に合格出来るものだろうか?とも思っていました。
しかし、なんと!
この度、Aさんは保育士試験に見事合格しました!
そして私が勝手に想像していた「会社の中に保育園を作るための資格取得が目的」というのも全く違うものでした。
Aさんは社長を退任した後にどこかの保育園でひとりの保育士として働くことを考えているそうです。
どこまでも自分の生き方を貫く人だなあと感心するとともにそこに潔さを感じました。
司馬遼太郎は「竜馬がゆく」の中でこんなことを書いています。
「武士の道徳は、煮詰めてしまえばたった一つの徳目に落ちつくであろう。潔さ、ということだ。」
また「ある運命について」の中では
「人は、その才質や技能というほんのわずかな突起物にひきずられて、思わぬ世間歩きをさせられてしまう。」
長いこと「世間歩き」をしていると潔く生きることが難しくなるのかもしれません。
人はただ単に歳をとったらから老人になるのではなく、面白く生きることを諦めてしまった時点から老人になるんだと思います。
稽古も同じです。「恥ずかしい」「そんなことやっても」「くだらない」などと、いろんなことを楽しむことが出来ない人や上達の過程を楽しむことを捨ててしまった人の稽古はやっぱり面白くないのです。
もう一人、静稽会のIさんは60歳を過ぎてから居合を始めました。その方もすでに70歳。稽古を始めてから着実に技量を上げ、現在も進行形で上がり続けています。
その年齢であれば体力の落ち込みが技量のアップを追い越してもよいはずですが、驚くことにその方は体力の落ち込みも少ないことに加えて技量の伸びがそれを遥かに上回っています。
とても70歳の人の動きとは思えません。
そして何より稽古を楽しんでいます。休憩中にもかかわらず何度も動きをトレースしている姿をよく見かけます。
あ〜楽しんでるなあ〜
着実に上手くなっているなあ~
私も70歳になった時にこんな風でありたい!
私はAさんの潔さやIさんの後ろ姿を追いかけたいと思うのであります。
最近、個人的にヨガに取り組んでいます。
ちなみに静稽会でヨガは実施しておりません。
ヨガを習うのは圧倒的に女性が多いせいか、インストラクターも女性が多く、さらに男性を受け入れてくれるインストラクターが少ないのが現状です。
そんな中、「師匠」(ヨガインストラクターなんですが、わたし的には「師匠」の感覚です)の指導下で本格的にヨガに向き合っています。
それまでなかなかこの人だと思う「師匠」に巡り合えず、トライ&チョイスの期間が長く続きましたが、この度やっと今の「師匠」にたどり着くことが出来ました。
そんなわけで「師匠」も含めて私以外は妙齢?の女性だけです。
最初は少し恥ずかしかったのですが、始まるとそんなことも言ってられません。
もうただただ必死です。
しかも初心者は私だけ。
ほとんど個別指導と言ってもいいような状況で「師匠」から名指しで声が飛びます。
先日「木のポーズ」を指導いただきました。
片足を脚の付け根に当てて股関節を大きく90度開きます。
その体勢のまま両腕を頭の上方向に出来るだけ伸ばして手のひらを合わせます。
そんな木のポーズをとっている時に「師匠」からこんなことを言われました。
「まだまだ伸びるはずですよ〜。手を上に伸ばすのではなく脇腹を伸ばしま〜す。」
あ〜ら不思議、
さらに伸びました。
普段の稽古でも肩甲骨や股関節の使い方を説明することがありますが、まだまだ私の体にも可能性がありそうです。
ヨガの指導を受けていると呼吸、ゆるみ、骨盤、体幹、足裏、重心と言った言葉が頻繁に出てきます。そしてそれらを動きとともに解剖学的に説明してくれます。
全てが普段の稽古に当てはまるわけではなさそうですが、それでも学ぶ価値は十分にありそうです。
「は〜い!呼吸を止めないで〜吐き続けながらゆるめて〜伸ばして〜もっとゆるめて〜もっと伸ばして〜無理しないで〜」
そういいながら手で私の体をクイッと押します。
「うっ!」
「あ〜呼吸は止めないで~」
止めたくて止めたわけではないんですけどね〜
それでもヨガとの相性は良いのか、辛さよりも心地よさが上回ります。
「師匠」の笑顔で"やさしい"指導が続きます。もしかしたら股割りが出来る日が来るかもしれません。
マスク着用が日常化した今日この頃ですが、悩ましいのは稽古中のマスク着用です。
マスクする事で稽古自体が苦しいと感じることもあり、正直言ってマスクをしないで稽古出来たらどんなに心地良いだろうと思ってしまいます。
それでも室内であることを考えるとやはりマスク着用は必要なのか?
そんなことを考えてみました。
まず前提として少なくとも静稽会が稽古している施設では意外にも「稽古中」のマスク着用は求められていません。そのかわり大声を出したり、掛け声を出したりは禁止となってます。
もちろん入館時や稽古以外はマスク着用は必要になります。
居合は刀を振り回しますのでソーシャルディスタンスは十分です(笑)
かつ静稽会の居合では声を発しないことから飛沫が飛ぶ可能性は低い。
さらに基本的にはみんな同じ方向を向いての形稽古が多いことから感染リスクはかなり低いのではと思っています。
そんな訳で個人的には居合稽古中のマスク着用は不要ではないかと思っています・・・が年配者も多く、万が一を考えると悩ましいのが現状です。
幸にして稽古はクーラーの効いた室内ですので熱中症の心配も少ないことから、居合でもマスク着用のまま稽古をしているのが現状です。
しかし、剣術稽古はちょっと事情が違ってきます。
こちらは相対して稽古を行うことや居合に比べて比較的距離が近くなる場合もあることなど感染リスクは居合稽古に比べると格段に高くなります。
安全を考えるとやはり剣術稽古時のマスク着用は必要かと思っています。
最近は施設側が換気やアルコール消毒液の設置、入館時の検温など感染対策を施してくれていますので、以前に比べれば稽古場所自体の感染リスクは随分と軽減しているかもしれません。
そうした対応のお陰かどうかはわかりませんが、静稽会ではこれまで新型コロナウィルスに感染した人は一人もいません。
とにかくマスクしとけば安全という「神話」に縛られて、新型コロナウィルス感染以外のさまざまなリスクを引き寄せることは避けたいと思っています。
その場で一緒に稽古する方々のコンセンサスをどうするかなどの問題はありますが、リスクコントロールしながら着用するべき時は着用し、リスクが小さい場合には外す勇気もそろそろ必要なのかもしれません。
今日の仕事は辛かった〜♪
あとは焼酎をあおるだけ〜♪
焼酎を飲む時にはこの歌を思い出します。
岡林信康「山谷ブルース」を知っている人は私同様相当古い人間です。
いろいろな方とやりとりをしていると世の中には本当に大変な思いをしている方がいるとしみじみ感じます。
そんな方々の気持ちがわかるなどと軽々には言えませんが・・・
新約聖書マタイによる福音書6章34節にはこんな言葉があります。
「明日のことを思ひ煩ふな
明日は明日みづから思ひ煩はん
一日の苦労は一日にて足れり」
聖書の中で私が一番好きな言葉です。
学生時代に聖書は文語体で読んだ方が良いと言われました。
今でもその通りだと思っています。残念ながら最近では文語体の聖書はほとんど見かけません。
また禅語にはこんなのがあります。
「一息(いっそく)に生きる」
一呼吸するその瞬間も疎かにしないで生きること
一息を「ひといき」と読むとちょっと違った意味になります(笑)
禅語には時々こういうのがあります。
そして以下は私の座右の銘です。
「過ぎてしまったことはしょーがない」
いや実はこれ我が家の家訓です(笑)
私が作りました。
真面目な話です。本当に。
どれも一見違うようですが、実は根底では同じことだと思ってます。
過去や未来に囚われて生きていると今が死んでしまいます。
今日の稽古は今日の自分しか出来ないと思って稽古しています。
明日は明日の自分が稽古するはずと思っています。
だからいつも稽古は新しくて楽しい!
目の前の稽古に集中しなければ今ここにいる自分は一体どこを彷徨っているのか?となります。
そして大変危ないです。
いろいろな人がたとえひとときでも静かに「新たな稽古」を楽しめたら幸いです。
3年前に専門店でスポーツバイク(自転車)を買いました。今もよく転がしてます。
さらなる体幹強化と体を絞ろうと考えた訳ですが、スポーツバイク超初心者の私は上級者用を買っても乗りこなせないだろうとそこそこの値段のものを買うつもりで取り敢えず量販店に出かけました。
たまたまその量販店にいたお兄さんが変わった方でした。
熱くスポーツバイクを語ったのちにこんなことを言いました。
「ところでスポーツバイクで一番大事なのはなんだと思いますか?」
ギア?
チェーン?
車輪?
タイヤ?
ハンドル?
ペダル?
・・・?
彼曰く「フレームです!」
フレームとはスポーツバイクの構造部分のこと。
「本気でスポーツバイクやるなら量販店で買わないで専門店でフレームの良いものを買った方がいいですよ!」
自分の立ち位置と言ってることが大いなる矛盾のお兄さん・・・さらに熱く語ります。
「とにかくスポーツバイクはフレームに尽きる。他の部分は後でカスタマイズ出来てもフレームは本体だから変えられない」
ん?この言葉はどこかで聞いたことがあります。
昔、自分の差し料を探していた時にある刀屋で聞いた言葉です。
「差し料を選ぶ時には鍔、鞘、目貫など刀本体以外の要素は全て無視。どこまでも純粋に刀本体のみで選ぶこと。他は後からいくらでもカスタマイズ出来るから」
まあ刀は本来オーダーメイドのはずなんですけどね・・・
経済的な理由だけではありませんが、自分に合った刀探しの長い旅に出ることになるわけです。
さらにはカスタマイズにも意外とお金がかかってしまうこともあって「フルセット」の状態で販売されている差し料に目が行きがちです。
そんな状況ですから初めて差し料を選ぶ人の中には本体よりもそれ以外の要素で選んでしまっている人を結構見かけます。
やはり何が代替のきかない本体なのかを見極めることは大切です。
そう考えると人体のそれは一体何になるのか?
「皮を切らせて肉を切る、肉を切らせて骨を断つ」
やっぱり骨に行きつきますかね。
そう言えば、大昔に城卓矢の「骨まで愛して」という歌がありました。
「骨まで〜♪骨まで〜♪骨まで愛して欲しいのよ〜♪」
恐ろしい歌詞です・・・
人体の「本体」が骨であるならば、武術でも骨(コツ)をつかむ必要があります。
飛鳥山公園近くの七社神社にはいささかご縁があり何度か訪れたことがあります。
そんな七社神社で翡縁会の方々が奉納演武をされるとのこと。
やはり何かご縁があると感じて奉納演武を拝見させていただきました。
最初は厳かな笛の音から始まりました。この日は日差しが強い日でしたが、涼しい風が吹き抜けたようなひとときでした。
やはり奏者はただならぬオーラをまとっています。
背筋を伸ばしてその後の演武を拝見させていただきました。
自分を超えて隅々まで気が行き渡った礼はやはり美しいです。
演武も迫力がありました。仕太刀、打太刀という枠組みを超えて迂闊に間合いに入ることを許さない緊張感が漂います。型とはいえ決して想定通りではない動きやそれを咄嗟に躱す一瞬の感応力に鳥肌が立ちました。
普段の稽古でもいかにギリギリのやり取りをしているかがうかがわれます。
居合も守るべきところを守り、攻めるべきところを攻める無駄のない身のこなしと刀の動きが見事に一致してかつ速い。いや、だからこそ速い。以前拝見した時よりもさらに速くなっていると感じました。
自身の稽古ですぐにでもやってみようと感じた動きがいくつもありました。
この日の演武を瞼の裏に焼き付けて明日からの稽古に精進したいと思います。
さらに久しぶりにお会いできた方もいてうれしい一日となりました。
ありがとうございました。
安倍元首相が凶弾に倒れ、お亡くなりになりました。
謹んでお悔やみを申し上げます。
消防署で最新の救命講習を受けてきました。
もしかしたら普段の稽古でケガをしたり、場合によっては命の危険に遭遇することも考えられます。
また私を含めて会のメンバーも良いお年頃の方も多く、稽古中に突然体調を崩すことも想定されます。
(お陰様で静稽会設立以来、そうしたことはありませんが)
10年ほど前の静稽会合宿中に「救命講習会」を実施したことがありました。
その頃から私たちを取り巻く環境も随分と変わりました。救命処置の際のコロナ対応や新しいAEDに対する知識、止血の際の感染症対策、人権に対する配慮などはリニューアルする必要があります。
講習会参加者のほとんどは若い人たちでした。
救命講習会は1時間の知識講習と修了テストに加えて1時間の実技講習と修了テストの合計2時間です。
応急処置や心肺蘇生、AED使用などは知識だけではなく、実際にやってみることが必要だと実感します。
どれくらいの強さやテンポで胸骨圧迫をしたらよいか?などはやってみないとわかりませんし、胸骨圧迫を続けるには意外と体力を使うこともわかります。
AEDもAEDから流れるアナウンス通りにやればよいはずですが、事態に遭遇した時に初めて使うようでは大変心もとないと思います。
(実技は人形を使って実施します)
これからの季節は熱中症などの心配もあります。
さらに私たちには応急の止血法などは必須科目です。
いざという時のために日々鍛錬し、常に備えることこそ本来の武術の姿であり、その意味では救命処置の習得は武術稽古の一つだと言っても過言ではありません。
ご指導いただいた消防隊員の方々に感謝です。
政治学なんて一体何の役に立つのかと思っていました。
そんな私は大学で政治学を専攻しました。
元々は法律を勉強しようと大学を受験しましたが在学中に方向転換?しています。
「初志貫徹」が信条の父は大反対でした。まあそれはさておき・・・
当時、高畠通敏氏の「政治学への道案内」という本がありました。
うろ覚えですが、前書きにこんなことが書いてあったと思います。
政治学を学んだ学生が就職面接で人事担当者からこんな質問をされます。
「政治学は何の役に立ちますか?」
その学生はその質問にうまく答えられなかったようです。確かに経済学部や商学部などに比べればこの質問に対する回答は少し難しくなるかもしれません。
実用価値としての「政治学」を前提とした質問の「土俵」に乗ってしまったこの学生には政治学の単位はあげられないと高畠氏は厳しい評価をします。
高畠氏は「土俵」自体を拡げて「相撲」を取り続ける叡智と対話こそ政治学だと書いています。
そもそも「役に立つ」とは一体どういうことなのか?
確かにそんなところから「土俵」を広げる方法はありそうです。
当時の私には何か感じるものがあったのかもしれません。その後、政治学に方向転換しました。
方向転換に反対だった父とは法律、政治学の両方の卒業単位取得という形で妥協点を見出しました(当時はそれが可能でした)
法律と政治の両面からの思考は物事の見え方が立体的になった気もしますし、いろいろな場面でこの二つの卒業単位取得自体が評価されました。
まあそれがその後の人生に良かったのか悪かったのかはわかりませんが・・・
私は今でも、あるものが「役に立たない」と思うのは自分の考えている「土俵」が狭いからだと思うようにしています。
自分の考えている「役に立つ」範疇に縛られた稽古だけを繰り返していると本当に面白い稽古は経験出来ないと思っています。
最近はインターネットの影響からか自分の興味のあることへの深掘りは得意でも広く遠くに網を掛けることが苦手な人が多いように感じます。
「今時、居合などは何の役に立つのか?」などと言われます。
私は直接的な実用価値だけではなく、もっともっと遠いところからも居合の「土俵」を広げる可能性はあるのではと思っています。
最近、武術関係の本などを読んでいると政治学で学んだことに近いと感じることが多々あります。武術でも流派や勝ち負けさえも超えた広い「土俵」を想定出来るかどうかが奥深さを感じ、面白いと思うかどうかの分かれ道になるのではないかと思ったりします。
おもしろきこともなき世をおもしろく
すみなすものは心なりけり
電車に乗っていると、まだ出発時間になっていないのに電車が動き出した・・・と思ったら隣の電車が動いていたなんていう経験はありませんか?
対象には物理的運動がないにもかかわらず運動が知覚されるこうした現象を心理学用語で「誘導運動」と言うそうです。
その時に焦りながらも現実を見極めるにはどうしたら良いか?
簡単です。もう一つ別の動いていない場所(例えば地上)を見ます。
どっちの電車が動いているか分かって感覚も戻ります。
相対の対象当事者から見る動きというのはそういったものなのかもしれません。
隣の電車を見ていただけでは脳は騙されてしまいます。
宮本武蔵の「五輪の書」はこれまで何度もこの静稽録に引用してきました。
例えば水の巻 第三節「兵法の目付けといふこと」にはこんなことが書いてあります。
「敵の太刀を知り、聊かも敵の太刀を見ずと云事、兵法の大事なり。工夫あるべし。此眼付、小さき兵法にも、大なる兵法にも同じ事なり。目の玉動かずして、両脇を見ること肝要なり。か様のこと、急がしき時、俄にわきまへがたし。此書付を覚え、常住此眼付になりて、何事にも眼付のかはらざる処、能々吟味有べきものなり。」
「敵の太刀の位置を知っているが、少しも敵の太刀を見ないということが兵法では大事なことである」
「目を動かさないで両脇を見ることが重要だ」
こうした目付けを武蔵は「観の目」と言ってます。
稽古場にはいろんな動きが溢れています。
一体何がどう動いているのかを正しく知るためには相対の動きを見ているだけでは騙されます。
居合でも意外と動きを説明することが難しい場合があります。
それは「誘導運動」のようなケースが多いと感じたりします。
相手の動きも自身の動きも「観の目」で見る必要がありそうです。
台所に無造作に置いてある包丁が気になります。
この位置、この向きでは何かの拍子に手を切る可能性があるかもしれない・・・
そしてそっと位置や向きを変えます。
妻はあまり気にならないようです。
どうしても刃や切先が肌に触れる事態を想像してしまいます。
とにかく刃や切先の向きや位置、状態が気になります。
妻は
「刀を振り回している人の言葉とも思えない」
いやいや、刀を振り回しているからこそわかるのです。
どう扱ったら自分には安全で敵には危険な状態が最速で作れるのか?
それを普段から稽古している訳ですから。
今置かれている刃物の状態がその後の動作の中で安全か否かを敏感に感じ取ります。
居合などで刀を扱う場合に一番大事なことは自分の刀で自分自身を傷つけないことです。
刃や切先の向きや位置はいちいち目で確認するわけではありません。どこまでも感覚です。
刀の長さ、重さ、反り、切先の形などによって感覚は随分と違ってきます。
車を運転する人は分かると思いますが、車には「車体感覚」というものがあります。
「車体感覚」が無い人の車はあちこち傷だらけです。
刀にも「刀体感覚」というようなものがあるのだと思います。
その感覚を稽古で研ぎ澄まします。
抜刀や納刀の時に刀が鞘と触れる音が出る人は刀の向かう方向と鞘の方向がズレていたり、手の内の問題などで鞘の中の刀が正しい状態でないことなどが原因です。
ただ原因がわかっても直すのは簡単ではありません。
小手先の方法ではなかなか直りません。
遠回りかもしれませんが、まず緩むこと、全身で刀に向き合うことだと思います。枝葉末節からではなく全身の動きを根本から変えていかないとなかなか解消されないかもしれません。
刀が鞘の中をすり抜けていくのを「肌」で感じるようになると刀と一つになれた気がします。
居合は奥が深いのです。
最近、家のトイレをリフォームしました。
世界的な半導体の供給不足という理由で結構な期間待たされてやっとリフォームが完了となりました。
新しいトイレは何でも自動です。
トイレでする「作業」が極端に少なくなりました。
トイレに入っただけで便座フタが「いらっしゃいませ〜」と開いてくれます。
先日、商業施設のトイレに入った時、便座フタを上げるのが少しだけ億劫な気がしました。これまでそんなことは微塵も感じなかったのに。
人は便利なものに慣らされてしまうと後戻りが苦痛になってしまうようです。
最近のトイレは洋式がほとんどですが、近くの図書館には洋式の他に和式が一つだけ備え付けられています。
何で全部洋式しないのか?と思っていましたが、不特定多数の人が座った便器に触れるのが嫌だいう人が少なからずいるからなんだそうです。まあ和式は施設側が掃除がしやすいということもあるかもしれません。
最近は踵を地面につけてしゃがめない人が増えていると聞きました。しゃがむと後ろに倒れてしまうんだそうです。そんな人は和式トイレは使えません。使えるトイレの選択肢が一つ減ります。
原因は足首が硬いから。
昔のヤンキーはコンビニ前で立派に?しゃがんでましたけどね(笑)
しゃがめない人たちにとってはもはや蹲踞や膝行なども難しい動きになっているかもしれません。
NHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀 小栗 旬スペシャル」では「鎌倉殿の13人」の演技で武士が胡座の状態から床に手をつかないで立ったり、逆に立った状態から手を使わずに胡座になる動作が上手く出来ずに悩んでいる小栗旬さんの姿が描かれていました。昔の武士が当たり前に出来たことが現代人には難しい動きになってしまうようです。
やはり日常生活の中で繰り返し行われるちょっとした動きが体に与える影響はあなどれません。
もしかしたらそれは体だけではないかもしれません。
商業施設のトイレで用をたした後、何となく違和感を感じて振り返りました。なんと!流していない!
慌てて流しましたが、まだトイレリフォームしてから1ヶ月も経っていないのにこの有様です。
これが他人の家のトイレだったらと想像すると・・・
人は簡単に楽な方に変わってしまうものらしいです。
先日、テレビで筆ペンをきれいに書くコツというのをやってました。
まず最初にやることは紙を自分の正面に置くのではなく利き腕の前に置くことなんだそうです。
私の記憶では習字は紙を正面に置いて書きなさいと教わったはずでしたが・・・
正面に置いた場合には書き進むと段々と字が見えにくくなる・・・確かに右手が邪魔して文字全体が見えにくくなります。
上手く書くには常に字がよく見えるようにするのは当たり前のこと・・・なるほど!
もちろん毛筆、硬筆、筆ペンなどによって違うのかもしれません。
その辺りに詳しい方から教えてもらうつもりでしたが、今日は稽古に来られなかったので、後日聞いてみたいと思います。
それにしてもこの右側感覚は何かに似ています。
頭に浮かんだのは柳生新陰流「極意の線」です。
大まかに言えば体の中心を真っ直ぐ斬らずに右膝通りの線を斬る太刀筋のことです。
初めてこの太刀筋を経験した時には斬新な太刀筋だなと感じました。
これまでの「風景」が捻じれて見えた気がしました。
もしかしたら剣道経験者などは邪剣のように感じるかもしれません。
柳生新陰流には「斬釘の打ち」や「くねり打ち」など左拳を中心から外す太刀筋があります。
竹刀ではなく刀を使った実戦ではこうした斬りもあると直感的に感じました。
実戦では必要に応じた柔軟さは重要です。
この太刀筋を知った後の稽古は随分と変わったのではないかと思っています。
もしかしたら書にも「極意の線」ようなものがあるかもしれません。
もちろん書と剣の理合は違います。しかし共通することも結構あるのではないかと思ったりします。
以前にも書きましたが、「十文字斬り」はなぜ「文字」なのか?
また私は刀を使う時、感覚的には毛筆で字を書くように斬るものだと思っています。
書には楷書、行書、草書、隷書、篆書があるそうです。
また漢字だけではなくかな文字という領域もあって、剣にも近い感覚があるような気がします。
本日、稽古総見が無事に終了しました。
この2年間は稽古総見は出来ませんでした。
確か第9回が最後でした。
今年で静稽会は12年目ですが、稽古総見としては第10回となります。
しかしコロナ未だ衰えず完全収束というわけにはいかない状況のため、今年はゲストにもお声かけせず、うちうちだけで映像記録のみを撮る稽古総見としました。
またよんどころない理由で稽古総見に参加できなかった方はリハーサルに参加していただき映像の記録を残しました。
そして私は全ての映像記録を見て愕然としました。
やはり2年間の稽古総見ブランクの影響は大でした。
人は見られないとダメになる・・・刺さるような視線の中で形をやり遂げることがどれだけ大切かを再認識しました。
映像は正直です。
よく見ると大切な動きを誤魔化していることがよくわかります。素人が見ればわからないかも知れませんが、経験者が見れば一目瞭然です。
もしその映像を見ても分からないとすれば問題はさらに深刻です。
そんな中でいち早く映像を見たMさんはこんなことを話してくれました。
「あまりの自分の下手さに驚いた。これは大変なことだ。」
実に意外でした。持ち前の運動神経で新しい動きをいとも簡単にやってのけ、いつも超然としている様子の彼からそんな言葉を聞くとは思いませんでした。
私はこの言葉に安心するとともに、改めてMさんの感性に感心しました。
そして正直に嬉しかったです。
稽古総見の映像を見て、ここがダメ、あそこがダメと自分に具体的なダメ出しが出来るかどうかが、その後の稽古のモチベーションとなり伸びしろになります。
それがない人はもうそこで終わり。
どんな稽古をしてもそれ以上は上手くなりません。
是非自分の映像をもう一度良く見て下さい。
それが今の真の実力です。リハーサルとか本番とかは関係ありません。
さらに余裕があれば他の人の映像もよく見て下さい。
もう一度初心に帰って稽古し、来年の稽古総見に臨みたいと思います。
お疲れ様でした!
「湿気で体が重い」
先日、稽古に参加したIさんがこんなことを言ってました。
そう言えば最近、私も同じことを感じています。
世の中で言うところの「低気圧不調」や「気象病」と言ってしまえばそれまでですが・・・
私は毎日デジタル日記をつけています。
日記の目的の一つは日々の体調の変化を知るためです。ですので冒頭には必ずその日の体調を記録します。
既にデジタル日記を書き始めてから6年目に入りました。
デジタル日記なので空いた時間にスマホで書けます。不精な私でも比較的楽に続けることが出来てます。
さらにデジタルの良いところは「ワード検索」ができることです。
例えば先ほどの「体が重い」「だるい」と入れるとそのワードの日記が検出されます。
やってみました。
するとこのワードはほぼ毎年同じ時期に書いた日記の中から検出されました。デジタル日記は天気もクリックするのでその日の天気も分かります。どれも間違いなく天気が悪い日です。
「そうか〜やっばり湿気の多い時期に同じ症状が出るのか〜」
もしかしたら「気象病」「低気圧不調」が私にも当てはまる可能性があると検証されました。感覚ではなく検証されることが大事です。
もう一つ、稽古のこともよく書きます。「稽古」のほかに「不調」「うまくいかない」「ヘタ」「好調」「ゾーン」「悟った」なども検索してみました(笑)
う〜ん、こちらは定期的?循環的?というわけではないようです。
よく稽古を真面目に続ければ螺旋階段のように上達すると言いますが、私は実際には違うと感じています。
稽古を続けているといろいろな刺激を外からもらいます。するとどうしても試してみたくなります。それが自分に当たる場合もあれば当たらない場合もあって迷路に迷い込みます(笑)
そんな時期には停滞もしくは下降している時もあると感じています。
しかしそれが無駄かと言えばそんなことはありません。
これは私の長い経験の中で言えることですが、世の中に無駄なものは一つもありません。
日記の中には何か不思議なものに影響を受けている自分がいるようで面白いです。
静稽会稽古総見などにゲスト参加いただく翡縁会HPの「稽古つぶやき」を愛読しております。
主に普段の稽古のことが書かれていて参考にさせていただいています。
そこには稽古の難しさや悩み、上手くいった時の喜びなども書かれており、日々稽古する者の共通する思いが伝わってきて励まされます。
5月19日付けの「稽古つぶやき」には「やっぱり大事な体づくり」と題して「受身」に対する強い思いが書かれていました。
以下、一部引用させていただきます。
「基礎の型とは何か?と再度問われたら。
受身、と私は答えるかもしれません。というか答えます。
最初に学んだ武術、そしてもっとも長く学んでいる武術が受身を稽古するそれだったことは、今から思うと私にとっては僥倖でした。
受身に出会えてよかった!(笑)
少なくとも、当会において求めている学びのエッセンスは、受身の稽古によって端的に触れて養うことができます。
いや、本当に。受身は、心身の変容を促す万能のメソッドですよ!!(妄想炸裂)」
実は私も2020年7月4日の静稽録で「転ぶ稽古」という題で「受身」のことを書きました。
「受身」のレベルや意味の深さは違うかもしれませんが、「受身」に対する思いが一緒だったことがとてもうれしかったです。
昔、お世話になった「受身」師匠に再会したような心待ちになれました。
「稽古つぶやき」は翡縁会のいろいろな方が書かれているようです。
難しい話ばかりではなく、冒頭には何気ない日常の出来事やそれに対する思いなども書かれていて、時々「あ〜それあるある!」と勝手に共感しております(笑)
稽古が日常の中にあるのは幸せなことなんだと感じさせてくれる「つぶやき」です。
そして日常の中に稽古があるからこそ大事な基礎の体づくりも出来るのだと教えてくれます。
<稽古つぶやき>
https://hien-kai.blog.jp/archives/14707212.html?utm_source=blogreaderoa
永世中立国であるスイス政府編の「民間防衛」(原書房)という本があります。
武術の会のHPでこんな本を紹介すると、もしかしたら勘違いされるかもしれませんが・・・
いろいろ考えさせられます。
本にはこんなことが書いてあります。
「われわれは、脅威に、いま、直面しているわけではありません。」
としながら
「侵略に対する抵抗の力というものは、即席にできるものではありません。」
「「わが国では決して戦争はない」と断定するのは軽率であり、結果的には大変な災難をもたらしかねないことになってしまう。」
この本では戦争は武器を持って戦う軍人だけがするものではなく、いったん戦争が始まってしまうと民間人が影響を受けることはたくさんあって、その前にやるべきこともたくさんあるとその具体例が列挙されています。
核攻撃などは他国に及んだとしても離れた国にも広範囲にその影響を受けることが考えられます。そんな時どうするのか?
そしてそれにむけて準備は出来ているのか?と。
本の中では
避難所の建設の必要性と避難所の食糧備蓄や飲料水確保、ケガ人用の血漿、食塩、ブドウ糖、麻酔薬が避難所にはどれだけ準備が必要か?
核シェルターの必要性と避難の仕方、放射能に対する知識はどうか?
生物兵器や化学兵器に対する知識や準備は十分か?
戦争による環境破壊に対する知識や準備は?
などなどが想定されています。
さらには
個人として被災者への救護対応が出来るか?
消火活動は出来るか?
避難所では何が出来るか?自分の役割は?
などなど
徹底したリアリズムで具体的に民間人が必要な知識や準備すべきことが書いてあります。やや書いてある内容が古いかも知れませんが・・・
この本ではさらに
万が一侵略者に支配されてしまった場合のレジスタンスのことまで書いてあります。
このところ軍備増強を声高に唱える人もおります。
もちろん軍備を増やすことも大切かもしれませんが、それ以前の問題として国も個人も事前準備するべきことはたくさんあるような気がします。
戦争は無いに越したことはありません。平和が一番です。
でも意に反して始まってしまった時に自分には何が出来るか?
平時にこそ考え、知識を蓄え、準備し、日々鍛錬しなければならないと考えさせられる本でした。
賛否はともかく武術を志すものこそ一度読んでみる価値はあると思います。
居合は「抜刀」などとも言われたりします。「抜く」という言葉の意味を辞書で調べると「中から取り去る」と書いてあります。
その意味の通りだとすれば居合は「抜刀」ではないかもしれません。
おそらく居合をやっている人は分かると思いますが、技術的には鞘から刀を抜くではありません。
居合では「鞘引き」という言葉がよく使われます。居合を始めた人は稽古中に何回もこの言葉を耳にするのではないでしょうか?
刀を動かして鞘から刀を抜くのではなく鞘を動かして刀を鞘から出す
このことを「鞘引き」と言ったりしている人もいます。
そしてこれを言葉通りに受け取って「鞘を引いて」いる人も多いようです。
わかりにくいので最近の稽古では「鞘引き」という表現ではなく、もう少し別の視点から説明するようにしています。
私には決して鞘を引いているという感覚はありません。
全身操作の結果論として鞘と刀が離れていくという感覚です。
時には「鞘を動かさない」「鞘を置いていく」などと言ったりします。
もちろん刀も抜きません。
まるで禅問答のようですが、これこそが居合の妙だと思っています。
ちなみに2019年4月13日付けの静稽録の「鞘引き」はやや違う観点から「鞘引き」について書いています。
静稽会ではいろんな稽古をします。
私は特に「感じる稽古」を大切にしています。
ある動きの感覚が最大限感じられるように動きの設定をミニマムにして稽古したりします。そんな新しい感覚を捉えた時が稽古の面白さでもあります。
しかしあくまでその稽古は感覚を掴んでもらうための稽古だったりします。
体全体を武術的に使うためには、そんな稽古の時の一部の感覚に引きずられると間違えてしまうことがあります。
呼吸なども同じなのかもしれません。呼吸をあまり意識しすぎると、かえって上手くいかないことがあります。
「腹式呼吸」などと言われて「腹」ばかり意識すると変な呼吸になってしまいます(笑)
稽古で感覚を掴んだ後はその感覚から一旦そお〜っと離れます。離れたところからその感覚とつながります。
この感覚を説明するのは難しいのですが、武蔵が五輪書の中でこんなことを言ってます。
「遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、兵法の専なり」
これはいわゆる目付けのことを言っているのですが、その時の感覚が似ているのではないかと感じたりします。
一つの稽古だけにとらわれてはいけません。
2ヶ月ほど前に静稽会HPに問い合わせのメールが届きました。
メールを開いてみたところ、番組制作会社のプロデューサーT氏からのメールでした。
自己紹介と現在制作している番組BS11「偉人・素顔の履歴書」の紹介に続いて
「今回、井伊直弼を取り上げるにあたって、番組の中で使う居合の動画をお借りすることは可能でしょうか?」との申し出を受けました。
どうして静稽会なのか?
そう思ってお聞きしました。
どうも2021年4月17日付けの静稽録「井伊直弼と居合」を読んだことがきっかけだったようです。
そんなご縁で「偉人・素顔の履歴書」第25回「井伊直弼編」にて静稽会の居合動画を提供することになりました。
「偉人・素顔の履歴書」はそれぞれの時代に活躍した英雄たちの偉大な功績と意外な素顔をクローズアップする歴史番組です。
BS11「偉人・素顔の履歴書」4月16日(土)20時からです。
面白い番組ですので、良かったらご覧になって下さい。
次は2019年4月19日付けの静稽録「福沢諭吉と居合」を読んで福沢諭吉の番組も作ってくれないかなあ。
「始めたいのに始めてないことありませんか?」
深夜、テレビの中からこんな言葉が流れてきました。
確かに・・・考えてみればやってみたいと思っているのに始めてないことはあります。
・もしかしたら続かないかもしれない
・今は仕事が忙しいから、仕事が落ち着いてから
・体力的(年齢的)に無理かも
・教えてもらうのが恥ずかしい、失敗したら恥ずかしい
・家族や友人に笑われるかも
・・・
さらには周りからも
「出来るわけないじゃん」
「いい年こいて今から始めるの?」
「あなたが?無理無理、続かないよ」
「もっと役に立つことやったら?」
「ケガするからやめた方がいいよ」
「お金かかるよ〜」
試合が始まる前からノックアウトですね。
でもそれで折れてしまうのはもしかしたら心のどこかで自分自身もそう思っているからかもしれません。
まだ先々に時間があるから、今はまだその時期じゃあない・・・
スルーしていると何もしないままドンドン時に流されていきます。
そして・・・
ある日突然、体を壊してしまうかもしれない
ある日突然、交通事故でケガをしてしまうかもしれない
ある日突然、大地震が来るかもしれない
ある日突然、戦争が始まるかもしれない
そんなことある訳ない・・・?
本当でしょうか?
先々がある保証なんて誰にもないんですけどねえ。
私は誰がなんと言おうと今やりたいことをやり散らかせばいいと思っています。
続かなくてもいいと思います。
年齢は関係ありません。
やる前からブレーキをかけているのは自分です。
やりたいことは躊躇せずやり散らかしましょう!
実は最初の言葉はキャッシングローンのCMなんです。
これはまさに「金言」かもしれません(笑)
卒業式の季節になりました。
袴姿の女子大生の姿をよく見かけます。
どうして卒業式だけ袴なのかについては特にここでコメントはしませんが、あの女袴が好きか?と聞かれると答えに困るかもしれません。
稽古で履く袴こそがこの世で一番美しいと思っている私です。ご容赦下さい。
さて彼女たちの袴をよく見てみました。どうも私たちが稽古の時に履く袴とはその形状が大きく異なっているようです。
まず腰板がありません。
腰板があるとビシッ!とするんですけどねえ。
しかし考えてみれば女性は帯を胸の下で結んでいますので、腰板をつけるのは難しいかもしれませんね。当然、袴紐も随分と高い位置になっています。
さらにはハイヒールブーツ?を履いていました。かの坂本龍馬も袴にブーツを履いていたそうですから、女性による日本の夜明けを体現しているのかもしれません。
前ヒダの数は稽古袴と同じ五つでした。
五つのヒダは「五倫五常」の教えなどとも言われます・・・
前にも書きましたが、袴のヒダの数が左右違うことを知っている人は意外に少ないです。
稽古袴のヒダは左が三つ、右が二つです。
私は陰陽から来ていると教わりました。人が南向きに立つ(天子南面)と左は東で太陽が昇る方角です。よって陽、逆は西で太陽が沈む方角で陰になります。数字で言うと奇数が陽で偶数が陰ですから、袴の襞の数は左が陽の奇数、右が陰の偶数だと。そして後ろは二心ないことを示すためにヒダは一つなんだぞと・・・
少なくとも私はそのように教わりました。う〜ん、でもこれも後付けのような気がします。
教えてくれた方には申し訳ありませんが、私は合理的、機能的かつ美的な理由なんだと思っています。
女袴に話を戻します。
女子大生たちの女袴の後ろにはなんと襞が三つもありました!
やはり女性は男性のように単純ではないと言うことか?
それとも一筋縄ではいかないということか?
まあ聞いたところではいろんな種類の袴があるそうで一概には言えないとのことです。こちらも女性の特性を考えて合理的、機能的かつ美的な理由からそのように作られているのだと思います。
いずれにしてもあまりジロジロ見ていると胡乱(うろん)なヤツと怪しまれますので、やめておいた方が良さそうです(笑)
私は稽古前にいくつかの決まった居合形をやることにしています。
これを始めてから段々と形数が増えてしまって、今ではそれが終わるまで結構時間がかかります。
その中であるいくつかの形の時には意識的に声を出します。
「ハッ!」
声を出すと言うより、息を吐き出します。
人間は一生で6億回呼吸するそうです。
しかし、その呼吸は決して効率的とはいえないと知りました。
空気が鼻から肺に到達するまでの気道等に吸い込んだ空気が残る「死腔」と呼ばれる空間があるそうです。
一回の呼吸で大体500mlの空気を吸い込むと150mlがその死腔に溜まってしまうそうです。
約30%、かなりのロスです。さらには姿勢が悪いなどの理由で呼吸機能が十分発揮されずに機能的残気量が増えてくる・・・どうしても呼吸が短くなる、浅くなる・・・そして酸素の取り込み量が少なくなる・・・
そんな残気を吐き出すためにまず稽古前に意識的に声を出します。
呼吸は吸うことよりも吐くことを意識すると良いとされています。坐禅でも吸うことは人間が生きるために自然に行われるので意識するのは吐くことだと教わりました。
まず死腔に残っている息を吐き切ることが重要です。
また呼吸には「呼吸筋」と言われる筋肉が必要と言われています。それは体幹と言い換えても良いかもしれません。体幹を鍛えて姿勢を正しく保ち、さらに普段の呼吸効率を上げることは理に適っています。
若い人たちは長い時間スマホを使っていると姿勢が崩れがちです。また高齢者は年とともに筋肉が衰えて姿勢が崩れてきます。やはり体幹は鍛えておいた方が良さそうです。
さらに息を吐いている時の方が集中できる効果が大きいと言われていますので、武術的にも稽古でさらなる呼吸のレベルアップをはかりたい思います。
コロナの中でなかなか声を出すことは難しいかもしれませんが、たまには大きな声を出すのもストレス解消に良いと思います。
まずは死腔から残気を吐き出してみましょう!
ただ街中でやると通報されますので、稽古場でやることをおススメします(笑)
度々の「カムカムエブリバディ」で申し訳ありません。
伴虚無蔵はこんな事を言ってました。
「黙って鍛錬せよ。日々鍛錬し、いつ来るとも分からぬ機会に備えよ」
よく「いざ鎌倉」などと言いますが、「いざ鎌倉」を実行するには決意だけではなく、その時をシミュレーションする想像力と日々の準備と鍛錬が必要です。
能の演目に『鉢木(はちのき)』というのがあります。
「いざ鎌倉」はその謡曲の中の佐野源左衛門常世という人物のセリフです。
「謡曲」は能の中で謡いながらセリフを言う部分です。ミュージカルで言えば声楽部分ですかね。
考えてみれば能は日本の古典ミュージカルとも言える!
話が逸れました。
鉢木物語はこんな感じです。多分、聞いたことがある方も多いかもしれません。
雪の中、上野国 佐野まで来た旅の僧は一軒の人家に宿を借りようとします。亭主は窮乏ぶりを恥じて一度は断ります。しかし心残りに思っていた亭主は去ってゆく僧を呼び止め、わが家へ迎え入れます。
亭主夫婦は、僅かに残っていた粟の飯を僧に提供し、大切にしていた鉢木を火にくべて僧のために暖を取ると、零落以前の日々を語り出します。佐野常世と名乗る彼は、一族に領地を奪われて今の窮乏に至ったと明かし、それでも「どんなに貧しくても武具と馬は手放さず、いざというときには、真っ先に鎌倉へ駆けつけ、命がけで戦う」と決意を語ります。その覚悟を聞いて僧は、名残りを惜しみつつ別れてゆきます。
そののち伝わってきた鎌倉一大事、武士一斉招集の知らせ。全国から集結してくる武士達に混じって常世は鎌倉へ急ぎます。到着した彼は、執権・北条時頼からの呼び出しを受け、実はこの時頼こそ、以前の僧の正体だったことを知ります。常世の覚悟を見届けた時頼は、かつての彼の本領を取り返し、さらに新たに領地を与えると、彼の心意気を讃えました。
めでたし、めでたしとなります。
馬の世話こそしませんが、いざという時のためにせめて武具の手入れと体の鍛錬くらいは日々心掛けたいと思っております。
ちなみに現在放映中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」主人公北条義時は鎌倉幕府2代執権ですが、時頼は5代執権となります。
「鎌倉殿の13人」本編終了後の紀行紹介コーナーで流れるポール・ギルバートのギターが素敵です。
長いこと一緒に稽古していると、時々変な音が気になる時があります。
ん?ちょっと違うかもな〜
タイミングか?
手の内か?
不一致か?
心の乱れか?
体調不良か?
音でその人がその時におよそどんな稽古していたかもわかったりします。
昔、示現流流祖の東郷重位が主君島津義久に従って京都に上洛した時の話です。
重位は旅先でも毎日の剣術の稽古を怠りません。ある時、重位が滞在していた宿の隣の天寧寺というお寺から、お寺の小僧さんが宿に来て重位に天寧寺の善吉和尚の言葉を伝えます。
「隣のお客人は剣術を心掛けて誠に奇特な御仁ではあるが、まだまだ素人のようだ。立木を打つ音を聞いていればそれが分かる。」
(まあ、考えてみれば大きなお世話ですよね・・・)
その言葉を聞いた重位はすぐに寺を訪ねて善吉和尚と話をしてみると、和尚は剣に対して造詣の深い人物だったそうです。
しかし、肝心なところになると「自分の流儀とは違う」と言って重位に多くを語りませんでした。
(わざわざ小僧を使いに出してまで「まだまだ素人のようだ」と伝えたのに?)
重位はその後もしばしば寺を訪ねて和尚に教えを乞いますが、和尚はなかなか教えてはくれません。
これを最後の日と決めて訪ねましたが、やはりその日も願いは受け入れられませんでした。仕方なく重位は障子に映る月影を見て「にごりえに映らぬ月の光かな」と一句を詠んで帰ったそうです。
その句を見た和尚は重位を呼び戻して自らの流派「自顕流」の極意を見せたそうです。そして重位はその場で和尚に弟子入りしました。この時、重位は28歳、善吉和尚は23歳だったと言われています。
こういう武術のいかにもな達人話は大好物です(笑)
しかし達人でなくとも、長いこと一緒に稽古していると音でわかることは結構あります。
もちろん達人とは次元が違いますが・・・
暗闇でしか聞こえぬ音がある
今回はNHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」を観ていない人には分からないかもしれません。
ごめんなさい!
今放映されている物語は3月で終わりますので、そろそろドラマも佳境に入ってきたかもしれません。
そんなドラマの中の棗黍之丞の決め台詞です。
「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある」
先日、居合稽古中にこの決め台詞が頭をよぎった瞬間に悟りました!
いや嘘です。
悟った気がしました。
ん〜もしかしたら気の迷いかもしれません(笑)
坐禅ではカラスが鳴いても悟ることがあるそうで、悟るキッカケは人それぞれです。
「悟る」とは論理的に理解することとは違います。よく右脳と左脳がスパークするなんて言われたりします。このあたりは詳しくはわかりませんが、その日、全てが最高の状態で調和した瞬間がありました。その時に何かを「悟った」気がしました。
「あ〜これか〜!」
これを言葉で説明するのはなかなか難しいと思います。
「暗闇でしか見えぬものがある」
この台詞でイメージされるのは闇夜にぽっかり浮かぶ大きな月です。(だからドラマの主人公の苗字は「大月」?)
月は自ら輝くことは出来ません。
地球の裏側にいる太陽の光を受けてしか大きく輝くことが出来ません。
そして大事なのは闇夜の中でしか光り輝くことが出来ないということです。
私たちはどうしても見えるところ、動くところだけに意識が行きがちです。
そんな「暗闇でしか見えぬもの」がチラッと見えた瞬間でした。
そう言えば私の好きな「月」という絵の画家高島野十郎はこんなことを言っていたのを思い出しました。
「闇を描くために月を描いた。月は闇をのぞくために開けた穴です」
西郷輝彦さんのディナーショーを観に行ったことがあります。
2014年12月23日だったと思いますが、その時のことは良く覚えています。
特に西郷輝彦さんのファンだったわけではありません。その時は縁あってたまたま成り行きでそうなりました。
ディナーショーでは西郷輝彦さんの熱烈なファンの方たちがいて、西郷輝彦さんのショーよりも、その方々の迫力のパフォーマンスの方が目に焼き付いてます。
そのディナーショーではもうご自身の病気のことを語っていたと記憶しています。
そんな中でもファンの方々の激しいパフォーマンスに笑顔で応えながら汗を飛ばして熱唱されてました。
西郷輝彦さんはもちろん第一には名曲「星のフラメンコ」の歌手としての認識です。
しかし私は「独眼竜政宗」の片倉小十郎役の方が強烈に印象に残っています。
あの役は良かった!
いかりや長介さんが演じた黄頭巾の鬼庭左月と同じくらい西郷輝彦さんの片倉小十郎が好きでした。
ご冥福をお祈りします。
備中青江派の刀は澄肌と言われ「青き地に鉄色変りて所々黒目に見ゆる」という特徴があるそうです。
青江派の刀には有名な「にっかり青江」という名刀があります。
青江貞次の作とされていますが、この刀にはこんな伝説があります。
近江国の武士がある晩歩いていると、若い女が、にっかり笑いながら近づいてきたため、怪しんで斬り捨てたところ、翌朝、石灯籠が真っ二つになって転がっていた・・・
にっかり笑いながら近づいてくる人は昼間でも怖いです(笑)
先日、成田山新勝寺近くの鰻屋でうなぎが焼き上がるのを待っていたところ、テーブルの上に小冊子が置いてありました。ペラペラめくってみるとその中に歴史家の磯田道史氏が書いた「うなぎの始末」という文章がありました。
磯田氏の母親の実家が岡山県児島湾岸の八浜(はちはま)で、この地域は「ハチアオ」といわれる名鰻の産地として有名なんだそうです。磯田氏が子供の頃、その美味しいうなぎを食べていたというエピソードが書かれていました。元々は青江村(現在の岡山市南区青江)が「アオ」の由来とも言われているようですが、実は「ハチアオ」は黒の中にも青味がかったうなぎなんだそうで、磯田氏はその青(アオ)色が名前の由来なのではないかと書いてました。
これでやっとうなぎと刀がつながりました!
不思議な青江つながりです。
ぜひ青江の刀の青とハチアオの青を比べてみたいと思っています。
「あ~でも青江と言えばまず青江三奈だよな〜」などと思って焼き上がったうなぎを食べていると、刀を持った青江三奈がニッカリ笑って近づいてくる・・・そんな突拍子もない想像をしてしまいました。失礼!
ちなみに歌手の青江三奈さんは東京都江東区南砂の出身で「青江三奈」は芸名です。この芸名の由来は作詞家・川内康範が『週刊新潮』で連載していた小説「恍惚」のヒロインの歌手の名前だそうで、青江つながりの話とは関係なさそうです。
お後がよろしいようで。
2月13日付けの日経新聞文化面に写真家の鷹野隆大さんがこんなことを書いてました。
気になったので静稽録に書き記したいと思います。
「とりわけ写真の不思議さを感じるのは、主体との関係である。対象を的確に写そうとしたときに、「撮ってやる」という強い意志で臨むと、かえってうまく写らない。そういう写真は撮り手の自意識ばかりが目立って対象が見えてこないのである。うまく写すには、「見ずに見るべし」などと禅問答のようだが、経験値としては確かにある」
この記事を読んで、そう言えばH会のT先生も以前にこんなことを書かれていたことを思い出しました。
「整体の施術も、その核心部分は見えないものだったりすることがあるのですが、その見えないものを見ようとすると余計に見えなくなるということがあります。
見えないだけならまだいいのですが、思い込みや勘違いから見えた気になってしまうということもよくある話で、よくあるだけにこれはけっこう厄介です。」
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
このシリーズ!?は、金子みすゞさんの詩しばり、でいくことに決めました(笑)」
T先生の思いはさらにその先に話が及びます。
宮本武蔵は五輪書水の巻「兵法の目付ということ」の中で
「眼の付け様は、大きに広く付るなり。観見の二つあり、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、兵法の専なり」
と書きました。
坐禅の半眼でも似たようなことを言われます。『正法眼蔵坐禅儀』では、「目は開すべし、不張不微なるべし」とあります。見ているようで見ないボーッと目の奥で見る感じですかね。
いろいろな稽古があります。
静稽会とご縁のあるA会さんとB会さんでは共通に実施している稽古があることを知りました。膝行による稽古です。
A会さんはこれを相手を設定して斬り返しでやっているそうです。これには退がる膝行も必要になるはずです。違っていたらご指摘下さい。
またB会さんはこれを上に遮蔽物を設定して(お寺の縁の下のようなところで)体に木刀を添わせた斬りと振りかぶりをやるそうです。
やってみました。
退がる膝行は慣れないと難しい?
でも面白い!
なるほどいろいろな効果が期待できそうです。
そういえば、昔部活で通称「アヒル歩き」という練習をさせられた記憶があります。
あれはキツかった!
今では「ウサギ飛び」同様に教育現場では否定されているようです。
「膝行稽古」はそれとは全く別物ですが、それでもやはりキツイ。
膝に故障を抱える方にはお勧め出来ないかもしれません。
A会さんでは腰を下げて斬り返しを行う稽古もやっているようで、う〜ん、なかなか稽古も多彩です。
これはトライアルですが、順手ではなく逆手(左右逆)での素振りもやってみました。こちらは某剣道会の稽古方法です。実はゴルフや野球などでも取り入れられている方法のようです。
人間は普段と違う動きを求められると、より体を意識するようになります。
静稽会の稽古方法の中にも左右前後を逆にした稽古があったりします。
また関口流「抜打先之先之事」の冒頭の動きを繰り返して稽古したりもします。これが膝の故障などで辛いようなら立ってやったりもします。この稽古はC会さんがやっている「左廻剣素振り」稽古に近いかもしれません。
あらゆる稽古で目指す動きを模索し続けています。恐らく最終的に目指すところはどの会も大きく外れてはいないはずです。
そしてある日いきなりパッ!とわかる時もあります。
しかし少しずつ少しずつじんわりと解っていくということの方が多いかもしれません。
あくまでも私の場合の話です。
良い稽古があればドンドンとトライしたいと思います。
これまで十年以上稽古をともにしてきた差し料を変えました。
実は今度の刀は手にしてから長い間、家の中で眠っておりました。
いつかはこの刀で稽古したい!
そしてきっとこれが私にとって最後の「相棒」になるだろうと。
これまでの刀は普段の稽古、そして試斬にもそのまま使っていました。
二尺四寸五分五厘(74.4cm)
切先から柄まで含めた長さは100cm
反り六分(1.9cm)
重さ1400g
直刃、柾目肌、生ぶ茎です。
樋はありません。
やや先反り。全体的に重ねはかなり厚いものの先の方はやや研ぎ減りして痩せたせいか、どちらかといえば鍔元側に重心がありました。ただ刀身の重さにしては振りやすい刀です。
先日から一緒に稽古を始めた刀は
二尺五寸二分(76.4cm)
切先から柄まで含めた長さは107cm
反り五分(1.5cm)
重さ1300g
直刃、小糠肌、生ぶ茎です。
樋はありません。
反りは尋常で鳥居反り。
身幅はやや広いものの重ねは尋常、研ぎ減りは少なく、どちらかといえば重心は前の刀よりも先の方にあります。
実はこの刀は7年ほど前に一度稽古で使っています。元々使っていた刀の鞘を新しくする必要があり、鞘が出来上がるまでの間に稽古で使いました。
ところがその時は長さと反り、そしてなにより重心の位置に慣れずに新しい鞘が到着すると一旦お蔵入りとなりました。
先日、永い眠りを覚まして久しぶりにその刀と稽古してみました。
以前とは全く違う印象です。
あの時はあんなに違和感を感じた刀がこんなにも体に馴染むとは。
刀は変わっていないので、変わったのは自分です。
あんなに手こずっていた刀とは思えません。それもスッと体に染み込むように使えました。
やはり輝く時が来たのかもしれません。
これも成長と受け止めてもいいのかな〜
前回の静稽録で「真剣は導かれ過ぎる」を書きました。早速、T先生からメール&アンサーブログをいただきました。
その答えがすごくカッコ良かったので一部紹介させてもらいます。
「稽古の主役はなにか?」に対するT先生の考えです。
「自身の稽古だからこそ主役は剣になり、自身は裏方になる必要があると考えています。
-中略-
主役の輝きは、鏡に映った裏方のそれでもあって、そこには主役も裏方もなく、ただ輝きだけがある。
武術で言えばこうした稽古の積み重ねが、我を消し、そうして浮かび上がる自分と出会い直し、更には道具や相手と一体になるような感覚を育むことにつながっていくと感じています。
かつて古人は、腰に帯びた刀の美しさ、勁さに見合う人になる。といった想いをもって稽古したという話をどこかで聞いたか読んだかした気がします。
そこには祈りにも似た何かが感じられて感銘を受けますし、武術を稽古する魅力もそこに集約されていると感じています。」
カッコいいなあ〜
「そこには主役も裏方もなく、ただ輝きだけがある。」
そんな輝きを見せていただいたことがあるからこそ、この言葉に心揺さぶられます。
先日、霜剣堂さんから今年のカレンダーを頂きました。
今年の表紙は則房、1月は信房でした。今年も刀カレンダーで楽しめそうです。
さて昨年末に武術家のT先生とお話しする機会がありました。先生はこんなことをおっしゃいました。
「真剣は使い易い」
私は先生も真剣稽古の有用性を語ったものと思って、「もちろん、その通り!」と思った瞬間にT先生の言葉が続きました。
「ただ導かれ過ぎるんですよ」
これってどういう意味でしょう?
先日、静稽録「桐木刀」を書いている時に何となくその真意が見えたような気がしました。
なぜあの時の私にとっては桐木刀の稽古が必要だったのか?
振り返ってみるとそこに答えに近いものがあるような気がします。
そもそも剣術や居合は真剣を使うことを前提としているはずであり、当然稽古もそうあるべきと思っていました。ゆえに稽古も真剣でやるべきと。
真剣は扱いによっては自他ともに大きな危険を及ぼします。しかしそこさえ気をつければ模造刀や木刀よりも使い易いというのも確かに事実です。これは静稽会で真剣稽古をしている人は全員認めると思います。
だとすれば・・・
真剣にこだわるあまり真剣が主役になってはいないか?
本来の稽古の主役はなにか?
使いやすい真剣にだまされていないか?
「真剣は導かれ過ぎる」の意味を考えると「稽古とはなにか?」がうっすら見えてくるような気がします。
T先生はそんな意味で言ったのではないと言うかも知れません。
今度お会いした時に聞いてみたいと思います。
お正月に霜剣堂さんの昨年カレンダーをしげしげと眺めておりました。
このカレンダーには月ごとに一振ずつ刀の写真が掲載されています。
1月から12月まで計12振を改めて通しで眺めてみました。もちろん全部素晴らしい刀ばかりです。
結論は1月が私の一番でした。
この1月の刀はカレンダーの表紙にもなっています。
刀は芸州浅野家 国安(粟田口)。
なんとも言えない凛とした気品があります。
小さな切先からスーッと伸びる緊張感のある曲線がたまりません。
焼き入れの瞬間に気を凝縮して封じ込めた刀姿に霊力すら感じます。
この姿、何かに似ていると思って、しばらく眺めていました。
あ~思い出しました。
宮本武蔵の「枯木鳴鵙図」です。
絵から伝わる静寂と緊張感がどこか似ている感じがします。
枯木と刀の姿が重なります。
武蔵はあの枯木の線を一筆で一気に引いたと言われています。張り詰めた空気感がそのまま絵に投影されている感じです。
人を斬るように線を引いている武蔵の姿を夢想してしまいました。
そういえば昔、仕事で中国に行った時に中国の有名な書道家とお会いする機会に恵まれ、書くところを見せて頂きました。
その書道家は静かに舞踏を舞うように書いていました。
そんな書き方を観たのは初めてだったので、すごく驚いた記憶があります。
そして書き上げた書には気が満ち満ちていました。
ちなみにその書道家は太極拳の名手でもあるとあとから教えていただきました。
舞踏だと思ったのは太極拳だった訳です。
いずれの道も底流には同じものが流れているのかもしれません。
前年のカレンダーからこれだけ楽しめればこのカレンダーも本望かも知れませんね。
残念ながら今年のカレンダーはまだ手元にありません。
寒い!
令和4年1月6日まだ松の内の都心に結構な雪が降りました。
こんなに雪が降ったのは4年ぶりだそうです。
最近は少し痩せたせいか昔に比べて寒さが身にこたえます。暖かそうな服をドンドン重ね着して痩せた分を補います。
ただ不思議なことに、着込めば着込むほど確かに暖かくはなりますが、寒さへのガードが緩い部分がより寒く感じるのです。それも結構辛い・・・
よく着物を着ると脚が寒いからと股引きをはきます。すると確かに脚は暖かくなりますが、今度は足がより冷たく感じます。
さらに足袋をはきます。すると股引きと足袋の隙間がもっと冷たく感じます。
どうしたら良いものか?と思っていたら、そこをカバーする「着物用レッグウォマー」とでも言うのでしょうか、ちゃんと通販で売ってました。感じることはみんな同じなんですね。
試しに厚着をやめてみると(諦めてが正しいかも)、全身は多少寒いものの、部分的な寒さはあまり感じなくなります。
う〜ん、むしろこっちの方が心地良いかも知れない。
寒さを体の一部ではなく全身で少しずつ分担して引き受ける方法とでも言ったらいいのでしょうか。
もしかしたらこの方法は別のことでも使えそうです。
「心頭滅却すれば火自ずから涼し」
小さいころよく父に言われました。
この意味はもしかしたらこんなことだったのかも知れない・・・
と思った大雪の日であります。
違うかっ!
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
今年は寅年ですね。
正確にいうと壬寅(みずのえとら)となります。
よく十二支(じゅうにし)といいますが、これはよくご存知の子(ね)、丑(うし)、寅(とら)・・・の12種類の動物(動物とは言えないのもいますが)になぞらえたものです。
この十二支(じゅうにし)が干支(えと)の意味で使われることもありますが、本来は十干十二支(じっかんじゅうにし)を略したものです。
あまり聞き慣れない十干ですが、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)です。
最初の甲乙丙丁(こうおつへいてい)はどこかで聞いたことがあるかもしれません。昔の通信簿はこれでつけられました。私の時代は違いますよ(笑)。もっと昔の話です。
例えば「甲乙つけ難い」なんて言いますよね。最近では「鬼滅の刃」の鬼殺隊の階級にも使われています。
干支は十干と十二支を組み合わせたものです。二つの順番通りの組み合わせが60通りで還暦の出来上がりとなります。
甲子園は甲子(きのえね)の年に竣工したことで名付けられましたし、戊辰戦争も同じ理由です。
そんな訳で2022年(令和4年)は十干では壬、十二支では寅となり、干支では壬寅(みずのえとら)となります。
寅は虎ですが、「決断力」や「才覚」の象徴だったり、「始まり」の意味もあって縁起が良い動物とされています。また壬(みずのえ)は十干の九番目で陽、その読みの通り水で海や大河を象徴してます。
今年は大海に明るく漕ぎ出すような年になるかも知れません。
さて強い虎ですが、そんな虎にも恐れる動物がいます。
それは象です。しかし、象は竹林に入った虎には手が出せません。
象は竹林では牙が引っかかって身動きが取れなくなるからです。よく目貫などで竹に虎の意匠があるのはそんな理由からです。
新年から話があちこち飛びすぎましたね。
それにしても日本は西暦、和暦、干支などがあってなかなか複雑です。
でも意味のないものは無いと言う目で見るとそこには面白い景色が見えてきます。
今年も好奇心の赴くままに静稽録を書こうと思ってます。よろしくお願いします!
稽古を始めてまだ間もない頃に肘を痛めてしまったことがあります。
そんな時に桐で出来ている木刀があることを知りました。
想像以上に軽い桐木刀です。
太くて重い木刀を振る稽古は聞いたことはありましたが、軽い木刀を振る稽古ってどうなのか?と思いつつ、桐木刀での稽古に臨みました。
振ってみると見事に桐木刀がブレまくります。思いがけない動きをする桐木刀を見て、これが今の自分の素振りだと認めざるをえませんでした。
そうか、だから肘を痛めるのか・・・
腰を据えてじっくりと桐木刀と向かい合う覚悟をしました。
体の一部に負荷のかかる振り方
不必要な握り込みの強さ
相反した筋肉の動き
間違った関節の使い方
タイミングなど
桐木刀はいろいろなことを静かに教えてくれます。
この稽古は刀の振り方だけではなく、それまでの体の使い方全体を見直す良い機会になったと思っています。
数ヶ月ほど桐木刀稽古を続けた結果、通常稽古でも肘の痛みは全く無くなりました。
そしてその時の稽古のおかげでその後十数年経ちましたが、肘が痛くなったことはありません。
さらには以前よりも刀が軽く感じるようになりました。
世の中に無駄なことは一つも無いのだと思います。
今、その桐木刀は別の人に稽古をつけています。
どんなことでもそこから何を得られるか、得られないかはその人次第なのだと思うのです。
今年最後の静稽録を読んで下さってありがとうございました。
来年も引き続き楽しく、静かに稽古を続けていきたいと思っております。
それでは良いお年をお迎え下さい!
美容師で「美容家」だった母は「誰でも必ず美人になれる化粧品がある」とよく言っていました。
その商品名は「人目クリーム」。
要は人に見られることが美容に効く一番の化粧品だと言うのです。
確かに最近のマスク生活でマスクの下の皺が増えたなんていうことをよく耳にします。
化粧をしなくても良い、髭を剃らなくてもいいからマスクは便利だ、なんて言っているとドンドン皺が増えてしまうかもしれません。
「人目クリーム」の原料は緊張感です。
また先日、テレビを観ていたらこんなCMが流れてました。
緊張している部下に上司が言います。
上司「プレゼン初めてか?」
部下「はい」
上司「良いなあ〜初めて」
部下「えっ!」
上司「初めてってものが無くなるのもさみしいもんだぞ」
部下「そういうもんですか」
上司「今、いい顔してるぞ!」
確かに過度の緊張が心や体に変調をきたすこともありますが、全く緊張感がないというのも刺激が無くてつまらないものです。人間は刺激を求める動物なのかもしれません。
静稽会では年に一度みんなの前で形を披露し動画記録する稽古総見を実施しています。見られる緊張感が普段の稽古の刺激にもなります。
稽古総見では適度な緊張感を楽しみながら身体が動けば満点です。そして緊張感で洗われた形はなにより美しくなります。
12月14日と言えば忠臣蔵.。もうすぐです。
先日、本所松坂町から泉岳寺までの赤穂義士凱旋の道を自転車で辿ってみました。激しい戦闘のあと武器を携えたまま、あれだけの距離の雪道を歩いたというのは驚きです。
そんな赤穂義士たちも最後は切腹したわけですが、そんな赤穂義士たちの切腹の話です。
昔、「切腹」という映画を観て衝撃を受けた記憶があります。
「切腹」は小林正樹監督、仲代達也主演の1962年公開の映画ですが、2011年には「一命」というタイトルで三池崇史監督、市川海老蔵主演でリメイクもされています。こちらの映画も素晴らしいです。
どちらも原作は滝口康彦「異聞浪人記」です。「切腹」の仲代達也と丹波哲郎の決闘シーンは真剣で撮影されたと言われています。今では考えられないですね。名優揃いでなかなか見応えのある作品です。
海外では「ハラキリ」と言えばそのまま通じるほど有名です。今でも切腹が武士の代名詞のように思っている人もいるかも知れませんが、実は江戸時代も元禄の頃には切腹の作法を知っていた武士はそれほどいなかったようです。
「忠臣蔵」に出てくる奥田孫太夫は本懐を遂げた後、白金の熊本藩下屋敷へ預かりになりますが、熊本藩士の堀内伝右衛門との間でこんなやり取りがあったと「堀内伝右衛門覚書」に記されています。
「さて私は切腹の仕様存ぜず候。いかが仕るものにて候やと申され候につき、我等申し候は、神以て私も終に見申したることござなく候」
まあ現代風にすれば多分こんな感じのやり取りだったと思います。
奥田孫太夫「それがしは切腹のやり方を存じませぬゆえ、かようにしたらよろしいかお教え下され」
堀内伝右衛門は「いやいや、お教えして差し上げたいのは山々なれど、なにせ我らも見たことありませぬものですからお教え出来ないのです」
えっ?え〜!
奥田孫太夫と言えば江戸急進派の重鎮で当時57歳。また堀内伝右衛門も同じ歳です。そんな年齢の人でも切腹の仕方を知らなかったとすれば、後は推して知るべし。
それにしても赤穂義士が切腹のやり方を知らなかったとは驚きです。
そんな平和な時代に起きた忠臣蔵だったからこそ当時でもすごい出来事だったのだろうと想像できます。
ちなみに新橋にある和菓子屋新生堂には「切腹最中」なるものがあります。
浅野内匠頭がお預けになった田村右京大夫上屋敷跡にお店があることからそんな最中を作ったそうです。
最中の形が切腹をイメージしているような、していないような・・・
味は素晴らしいです!
12月14日には赤穂義士を偲んで食べてみるのもよろしいかと。
「どれくらいたったかな?」
「あとどれくらいかな?」
坐禅で坐っていると時々こんな思いが頭の中を巡ります。
全く坐禅になってませんね。
稽古をしている時にも同じようなことがあります。
もちろん、そんな時は稽古になってません。
菊池寛に「極楽」という小説があります。
京師室町姉小路下る染物悉皆商近江屋宗兵衛の老母おかんは周りから惜しまれつつも極楽に向かいます。
長い道のりの果てにようやく極楽に到着するとそこには先立った夫で先代の宗兵衛が座っています。その夫の隣に静かに坐って過ごす日々。
極楽は痛くも痒くもない、腹も空かない、暑くも寒くもない、苦しいことも一切ない世界です。美しい景色と音曲の中で静かに時が流れます。
やらなければならないことはなんにもない。ただただ坐っていればいいだけの世界。
おかんは夫に聞きます。
「何時まで坐るんじゃろ。何時まで坐っとるんじゃろ」
すると夫の宗兵衛は吐き出すように言います。
「何時までも、何時までもじゃ」
おかんは聞き返します。
「そんなことはないじゃろう。十年なり二十年なり坐って居ると、また別な世界へ行けるのじゃろう」
すると宗兵衛苦笑しながら言います。
「極楽より外に行くところがあるかい」
やがて未来永劫坐り続ける二人。
おかんは突然こんなことを言い出します。
「地獄は何んな処かしらん」
人とは不思議な生き物です。
今年はコロナ禍の影響で稽古のできなかった日も多く、静稽会3大イベントの総会、稽古総見、合宿もできませんでした。
このところコロナが少し落ち着いてきたことから本日「大稽古会」を実施しました。なにか特別なことをした訳ではありません。普段の倍の時間をかけて一年間の総ざらいの稽古を実施しただけです。
他流の先生方にもご臨席いただき、貴重なお話も伺うことができました。懐かしい人に会うことも出来ました。
そしてコロナ禍で稽古がままならなかった一年を振り返って、改めてみんなでやる稽古はいいもんだと実感しているところです。
先日、毎回静稽録を読んでいるという方からメールをいただきました。
実は静稽会の稽古に参加したいが今は個人的な諸事情あってそれが出来ないと書いてありました。そして稽古に参加できるようになる日が来るまでは静稽録を読ませていただますとありました。
嬉しい限りです。
考えてみればコロナ禍だけでなく稽古したくてもできない人がいます。
病気やケガでできなくなる
仕事の事情でできなくなる
家族の事情でできなくなる
世の中の事情でできなくなる
理由はいろいろです。
稽古できるということ自体が実は極めて恵まれたことなのかもしれません。
これまであまり意識したことはありませんでしたが、コロナ禍の一年と相まって、いただいたメールが心に沁みました。ぜひいろんな事情がクリアされた時には静稽会の稽古に加わって欲しいと願っています。
今、コロナの新変異株が再び猛威を振るうのではと懸念されています。
実は私たちに与えられる「稽古が出来るチャンス」は意外と少ないのかもしれません。
今はただ稽古が出来る幸せを噛み締めております。
「日残りて昏るるに未だ遠し」
藤沢周平作「三屋清左衛門残日録」NHKで1993年に放映された番組です。冒頭にこの言葉が流れます。
三屋清左衛門は元用人で今は息子に家督を譲り隠居したばかりの身。すでに妻には先立たれています。
無外流の使い手で最近では道場にも復帰して子供たちを指導しています。まだまだ若いもんには負けんと頑張っていますが、やはり周りからは「御隠居」と呼ばれる日々。
三屋清左衛門は仲代達矢が演じています。物おじしない息子の嫁里枝役には南果歩。この役柄がまた良い。
幼馴染で現役奉行の佐伯熊太役の財津一郎もいい味出してます。その他の俳優も名優揃いです。
もうそれほど生臭くはないものの、完全に乾き切ってもいない絶妙な「半生」の年齢を楽しんでいる日々は自身にも重なるところがあります。
「老骨に鞭打つ」
「年寄りの冷や水」
「老醜を晒す」
「少年老い易く学成り難し」
「老いては益々盛んなるべし」
「老馬の智」
「老い木に花」
ドラマを観ながらいろんなことわざが頭に浮かびました。
そんな三屋清左衛門が好きな漢詩が出てきます。
王維「辛夷塢」
木末芙蓉花
山中発紅蕚
澗戸寂無人
紛紛開且落
木の梢なる芙蓉の花
山中に紅き花を開き
谷の枢(とぼそ)には廖(せき)として人なく
芬々(ふんぷん)として開きかつ落つ
人生も稽古もかくありたいと思うのであります。
ただ一つ、ドラマの中の三屋清左衛門の言葉
「いい嫁は味噌汁が美味い!」
これには同意出来かねます。
先日、ご縁のある方から私の元に貫級刀がやってまいりました。
貫級刀は馬針とも言います。
馬は長時間に渡って走らせると脚部が鬱血状態になるそうです。そこで昔は脚部に傷をつけ出血を促し、一時的な処置を施すために馬針を用いたようです。
次第に形骸化して刀剣外装になったと言われています。
貫級刀は合戦の際に討ち取った敵将の首に突き刺して首板に固定するための道具です。「首級」と書いて「しるし」と読みます。「御首級」は「みしるし」となる訳です。
これは中国においては首を取ると武勲で一階級上がったことが由来だそうです。
面白いですね。
私の「貫級刀」の尾部には猪目形の穴が空いています。自分の名前を書いた紙や札を紙縒などで結びつけるための穴ですが、猪目形には魔除けの意味合いもありますから、あ〜なるほど〜となりますね。全てに意味があります。
さらにこの貫級刀には刃の部分に雷除の文字と菊紋が彫られています。雷除けのお守りでもあるようです。また柄の部分には漢詩?のような文字が彫ってあります。
漢詩?の方は調べても正確にはその意味は分かりませんでした。漢字から想像するしかありません。
豈好多馘 王家禦侮
遺功千載 威名赫古
千摹千佩 肅仰厥武
こういうことに詳しい方がいましたら是非ご教授下さい。
意味はなんとなくではありますがわかります。
貫級刀を使う人の想いが詰まっているようです。
またこの貫級刀は測ったわけでもないのに、私の脇差の小刀櫃にピッタリ収まりました。私のもとに来るべくして来たようです。
「デジタルデトックス」という言葉があるそうです。
一定期間スマートフォンやパソコンなどのデジタルデバイスとの距離を置くことで現実世界でのコミュニケーションや、自然とのつながりに向き合ってストレスなどを軽減させることを言うのだそうです。
確かに気がつくとスマホを見てます。
電車内は下を向いてスマホを見ている人たちばかりです。
中央公論新社 森三樹三郎訳 「荘子I」の荘子外篇 第十二天地篇の中にこんな話があったことを思い出しました。
子貢(孔子の弟子)が旅した時、苦労して水汲みをしている老人がいて、その老人にこんなアドバイスをします。
「水汲みには「はねつるべ」という機械があって、もっとたくさんの水を汲むことが出来ますよ」
すると老人はこんなことを言います。
「わしはわしの先生から聞いたことがある。機械をもつものには、必ず機械にたよる仕事が増える。機械にたよる仕事が増えると、機械にたよる心が生まれる。もし、機械にたよる心が胸中にあると、自然のままの純白の美しさが失われる。純白の美しさが失われると、霊妙な生命のはたらきも安定を失う。霊妙な生命のはたらきの安定を失ったものは、道から見離されてしまうものだ」
そして
「わしも、その機械のことなら知らないわけではないが、けがらわしいから使わないまでだよ」
スマホやパソコンを無くすわけにはいきませんが・・・
あまり機械にばかり頼っているととんでもないところに行き着いてしまうかもしれません。
小学生から高校生まで私は町道場で柔道を習っていました。最初に教えてくれたのは青木師範でした。
その道場では青木師範の上にはご高齢で紅白帯の茂木師範、下にはもっぱら試合の実戦的な指導する高橋師範がいました。
先日、地元に帰って奥山念流のことを調べていたところ、奥山念流についての資料を編纂しているM氏から貴重な話を聞くことが出来ました。
その際に奥山念流の系譜の中に青木という姓の方がいることが気になっていた私は思い切ってM氏に聞いてみました。
すると私を指導してくださっていた青木師範は奥山念流柔術を伝承された一人だったというのです。
奇しくも私は奥山念流の「柔術」に接していたわけです。
実は私が青木師範から最初に教えられた投げ技は跳腰でした。一般的に跳腰は初めて柔道を習う小学生に教える技ではありません。私はこの跳腰は柔術色の濃い技だったのではないかと想像しています。跳腰は釣腰や払腰、内股に近い技ですが、奥山念流にもこの技に近いものがあったのではないか?
そんなことを夢想しています。
青木師範は既に亡くなっており、さらにその息子さんも既に亡くなってます。
現在、奥山念流の伝承者はいません。
そんな時に奥山念流剣術を語るときに必ず名前が出てくる橋爪国五郎という人の家が私の親戚筋にあたるという話が出てきました。
もしかしたら資料などがあるかもしれません。
これから楽しみです。
「居合は動禅である」は正しいのか?
そんな思いから始めた坐禅でした。
もう随分と経ちました。しかしまだ答えは出てません。
ただ最近では坐禅をあまりにもmental面からのみ取り上げていないか?
という思いに至っています。
「居合は動禅である」も坐禅のmental面から見た居合の感が拭えません。
前にも書きましたが、長い時間かつ心穏やかに坐り続けるにはある程度の経験とテクニックが必要です。
間違いを恐れず言い切ってしまえば、まず力を抜くこと、そして軸を保つことが肝要になります。
しかし実はこの二つは矛盾してます。
力を全部抜いてしまえば坐っていられません。軸を保つためには最低限必要な部分の筋肉は必要です。そのバランスのコツを掴むにはある程度の時間が必要になります。
これ、どこかで聞いたことないですか?
そうです。居合稽古中にもよく言われることです。矛盾した身体の使い方を同時に求められる難しさ、わかりますよね。
心を穏やかに保つためには、坐り方は重要です。痛い、痺れる、苦しい、辛いでは長時間穏やかな心を保つことは出来ません。正しく坐ることは言わば身体が楽になるように坐ることです。そして楽に坐り続けるためには力を抜くこと、軸を保つことが必要になります。
そういう意味では動く居合と違って、静かに坐っている坐禅は究極のphysical稽古とも言えます。
動かないphysical稽古
もしかしたら居合にはこの静かなphysical稽古が必要なのではないか?
そんな風にも思えてきます。
坐禅の居合に対するmental面の効果はもちろんですが、physical面の効果にもっと目を向けても良いのではないか?というのが今のところの命題に対する私の思いです
「坐禅は静居合である」
居合にはphysical面で動なる稽古と静なる稽古が必要なのではないかと感じています。
人気の観光地などに行くとよくこんなことを言ってる人がいます。
「いやだ〜!なんでこんなに混んでるの〜!信じられな〜い!」
いやいやあなたもその人混みの一人ですから〜残念〜!
ギター侍(波田陽区)風
(かなり古い?)
あ〜でもそれ自分も言ってるかもなー!
再び残念〜!
山本周五郎に「武士草鞋」という作品があります。
出羽国新庄藩出身の武士宗方伝三郎は潔癖で正義感の強い性格です。
曲がったことが大嫌いで、融通が利きません。そんな訳で正しいことが通らない世の中に対して不満を募らせます。
そんな宗方がお家騒動の中、持ち前の正義感から藩を辞することになってしまいます。
その後、江戸に出るも金儲けばかりに執着する人たちに嫌気がさし、正しいことが通らないこの世を儚んであてもなく東海道を歩きます。歩いて、歩いて、そして行き倒れ。そんな時、律儀な老人と孫娘に助けられます。
しばらくその家で世話になっていましたが、何もしないでいることに慚愧の念が起こり、故郷でよく作っていた丈夫な草鞋を作って売ることで役に立ちたいと考えますが・・・
やはり世の中は儘ならないと知るべし。しかしそれは本当に自分が正しくてすべて世の中が悪いのでしょうか?
続きに興味のある方はぜひ読んでみてください。新潮文庫「つゆのひぬま」に収載されてます。
山本周五郎の時代小説は名作揃いです。
ちなみに私は名優鈴木瑞穂氏の朗読CDで聴きました。鈴木瑞穂氏の朗読は最高です。引き込まれます。
売れていないお笑い芸人ほど久しぶりにテレビに出たりすると張り切り過ぎて、「やってやるぞー!」という思いが前面に出るためか、空回りして面白さが半減してしまいます。もう少し力を抜いてほどほどにやれば面白いはずなのにと思ったりします。
まあそれが出来れば売れているはずです。
新しい動きを稽古している時など同じことを思う時があります。
あの稽古の時はそんな状態だったと、後から気がついたりします。
あんなに鐘木を切らなくてもよかったのに・・・
あんなに振りかぶらなくてもよかったのに・・・
あんなに斬り過ぎなくてもよかったのに・・・
あんなに無理して稽古しなくてもよかったのに・・・
やり過ぎると元に戻すエネルギーと時間がかかります。全体のバランスも崩れます。
人のことはよく見えます。
でも自分に振り返ってみると意外と気がつかないものです。
ほどほどが良いのですが、そのほどほどがよく分からない。だから難しい。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
名言です。
新撰組の土方歳三の愛刀はご存知、和泉守兼定です。
土方歳三の人物像が強烈なだけにどうしても刀の方に関心が行きますが、日本刀は刀、鍔、鞘、目貫などの総合芸術です。むしろ持ち主の普段の「想い」は刀以外の刀装具に現れるのではないかと思ったりします。
刀自体がまさに人斬り包丁な訳ですから、殺伐さを中和させるような刀装具を選ぶのは自然な成り行きかも知れません。
若い頃は龍や虎など厳つい刀装具をこれでもかと言わんばかりに飾り付けていました。年齢を重ねると段々と「あ〜随分いきがってたなぁ。カッコ悪いなぁ」と思うようになってきます。
逆に見方によっては静かで殺生を諫めるような意匠の方が刀とのコントラストで恐ろしく感じたりします。
筋者の背中に彫られている刺青なども般若や龍虎より観音様の方がより想像力が働きます。
さて、かの土方歳三の刀装具はどんな感じなのでしょうか?
鞘は会津塗りで、鞘の表に、鳳凰と牡丹唐草が、それぞれ2つずつ描かれています。
牡丹は百花の王です。「幸福」や「高貴」などの意味があります。
また鳳凰は中国の伝説の鳥で「平和」で「幸せな」世界が実現されるときに現れる瑞鳥と言われています。雌雄同体で「夫婦円満」のシンボルにもなってます。
鞘に描かれた鳳凰は、1羽が普通に飛んでいる姿で、もう1羽が見返り鳳凰となっていて、なんだか意味深です。
目貫は枝山椒図です。山椒の花言葉は「健康」です。
また山椒は薬草としての役割もあったようで、土方家の家業のルーツにも繋がっているのかと深読みしたりします。山椒は「厄除け」「魔除け」の意味で用いられることも多く、山椒の赤・強い香り・トゲとすべてが魔を寄せ付けない意味合いも含まれてます。
最後は鍔です。意匠は七夕図です。
留守模様ですね。墨と梶の葉が描かれています。
七月七日の朝、露を集めて墨をすって梶の葉に詩をしたためると、「学芸が上達」するという言い伝えがありました。
留守模様というのも良いですよね。洒落てます。奥ゆかしい表現が素敵です。
ちなみに私の大事にしている目貫はカラスの濡れ羽色の赤銅で杖と笠だけの西行法師留守模様図です。
ちょっと渋すぎますね。
そして鍔に彫られた墨の中には「圓滿」と書かれています。これは夫婦円満の円満とは意味が違い、願い事がすべて満たされるようにという意味です。
どうでしょう。刀装具から土方歳三の想いが伝わってきませんか。
「子連れ狼」はよく観てました。
拝一刀(萬屋錦之介)の殺陣は凄かった!
今、居合や剣術などをやっているのは、もしかしたら拝一刀の姿が目に焼き付いているからかも知れません。
拝一刀は「公儀介錯人」です。
もちろん「公儀介錯人」という役職はありません。しかし、音で聞いても「こうぎかいしゃくにん」という響きはすでにカッコイイ。そしてその後に「おがみいっとう」と続くともう完璧です。まあ「公儀介錯人」の前に「元」が付きますが。
しかし現実の切腹を介錯する人は大変だっただろうと想像します。実際には介錯する人は一人ではありません。「介錯」の他に「添介錯」「小介錯」と三役があったそうです。
「介錯」はもちろん切腹する人の首を落とす人、「添介錯」は短刀を乗せた三方を持ってくる人、「小介錯」は切腹終了後に首実検に供える人になります。
介錯は添介錯が三方を切腹する人の前に置くの見計らって身構えをします。そして切腹する人が三方を引き寄せようとして手を伸ばし、首筋が伸びた瞬間に・・・
えっ!腹は切らないの?
まあそれが理想でしょうが、実際に腹を切った例はあまりなかったそうです。
そうなると介錯が刀を振り下ろすタイミングはかなり難しくなります。
天保年間に書かれた「自刃録」(沼田藩士工藤行広著)にはそのタイミングについて「四ッの間」を示しています。(「三ッの規矩」というのもあります)
1番目は添介錯が三方を据えて退く時
2番目は切腹人が三方を引き寄せる時
3番目は刀を取る時
4番目は腹へ短刀を突き立てた時
また添介錯が三方を置く時には切腹人から三尺ほど離すそうです。
「兎角に前へおびく工夫をするなり」
切腹人の身体が前に伸びるようにするのが添介錯の役目であり、もし切腹人が三方をもっと近くにして欲しいと言われた場合でも「これが定法でござる」と断ったそうです。
またこの介錯とは別に「介添」もいました。こちらは小刀を差し、切腹人が暴れた時に取り押さえたり、小刀で刺して大人しくさせる役目です。また恐怖で切腹人が立てない時などは立たせて歩かせることもあったそうです。
ちなみに拝一刀の愛刀はご存知「胴太貫」ですが、本来は肥後地名の「同田貫」が由来と言われています。しかし試し斬りの時に胴を切り貫き、下の田まで切り裂くことから「胴田貫」などとも呼ばれており、フィクションとはいえこちらの方が俄然インパクトはあります。
テレビで初めて「子連れ狼」を観た時には「ドウダヌキ」という音に戦国の響きを感じました。音も大事な演出だったのかも知れません。
9月20日は敬老の日です。
私は敬う方になるのか?
それとも敬われる方になるのか?
人生100年と言われて久しいです。とうとう100歳以上のご長寿さんが過去最多の8万6000人を超えたそうです。
大変めでたいことです。
これだけご長寿さんが増えたということは私はまだまだ敬われる方には入らないようです。
そう言えば昔、丹波哲郎という方がいました。
「キーハンター」や「Gメン'75」で先日亡くなった千葉真一と共演していた俳優です。随分前に亡くなりました。
その丹波哲郎の有名な言葉があります。
「あの世とこの世は地続きだ!」
そんなもんなのでしょうか?
なにぶんあの世に行ったことがないので
よく分かりません。
ある健康セミナーで講師の医師が参加者にこんなことを聞きました。
「皆さんは何歳まで生きたいですかー?」
年齢層の高かったセミナーだったせいか、ある参加者から
「私はもういつ死んでもいいと思ってるんですよ」
という答えが返ってきました。
「そう思っている人は?」
結構な人たちが手を挙げました。
するとその医師は
「じゃあ今日死ぬとなったらどうですかー?」
と聞くと
「それは困る」
確かにいつ死んでもいい人は健康セミナーなんかに参加しません。
みんないつまで生きられるかは選べません。お迎えがいつなんどきやってくるかは誰にもわかりません。それなのに漠然と自分だけはまだまだと思っているというのはなんとも滑稽な話です。
昔のある武士は答えを「葉隠」に探しました。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
言い切りましたね〜時代もあるかもしれません。
武士の時代と比べれば、今はそれほど死が身近なものとは言えない時代かも知れません。しかしこのコロナ禍でイヤでも身近に意識せざるを得なくなりました。
自分は一体何歳まで生きたら満足するのか?
マハトマ・ガンジーは
「明日死ぬかのように生きよ」
ジョンレノンはこうです。
Imagine there's no Heaven
一休さんはこう言いました。
門松は冥土の旅の一里塚
めでたくもあり めでたくもなし
もしかしたらある意味「あの世とこの世は地続きだ!」はいいとこ突いているのかもしれません。
皆さんは相槌を打ったことはありますか?
「うんうん」
いやいやその相槌じゃあなくて、刀鍛冶が鋼を鍛える時の相槌です。
鋼を折り返して鍛えることを鍛錬と言います。鍛錬は不純物を取り除き、鋼の中の炭素量を均一化させることが目的です。
昔の刀鍛冶はこの鍛錬に槌(ハンマー)を使っていました。
師匠は小槌を使って弟子にどこにどれくらいの強さで大鎚を打って欲しいかを金敷(台座)を叩いて知らせます。
それに合わせて弟子は「相槌を打つ」ということになるわけです。
これが「相槌を打つ」の語源です。
最近では、相槌を打つ役割である弟子の「先手」の役割は機械のハンマーに代わっているようですが。
私はこの大鎚を持たせていただいたことがあります。静稽会刀剣顧問のH刀匠のものでした。振り上げてみると、これが恐ろしいほど重くて、とてもH刀匠のように振り上げられるものではありません。
振り上げるのさえ四苦八苦していた時、むしろ振り下ろす方が難しいのだと教えてくれました。
いわゆるハンマーヘッドの部分を鋼に対して均一に垂直に振り下ろすのは相当難しいそうです。確かに言われてみればその通りです。
H刀匠が振り上げ方を見せてくれました。
あっ!これどこかでみたことがある!
H刀匠の大鎚の振り上げ方はまさに薩摩の剣の構えそのものでした。
静稽会で薩摩の剣の使い手であるHKさんがH刀匠に「弟子入り」したと言ってました。もしかしたらHKさんも大槌の構えの向こうに薩摩の剣を見ていたかもしれません。
藤沢周平「夜明けの月影」という作品があります。
「すばやく、失った間合いを取りもどそうとしたのだ。とっさの空打ちは、新陰流では魔ノ太刀と呼ぶ刀法である。」
「八十郎が空打ちをしたとき、宗矩はもう刀を攻撃の横上段に構えていた。そこから疾風の打ちこみを八十郎の左拳に放ち、さらに踏みこんだ同じ姿勢のまま、目にもとまらず刀を返すと、右拳を打った。-中略-すばやくはげしい攻撃は、遠く陰流の祖愛洲移香斎の猿飛に起源する燕飛六箇乃太刀のうち、月影の刀法である。」
昔、この作品を読んだ時には描写の動きが完全には想像出来ませんでした。
静稽会は他流派も稽古します。この数年、燕飛六箇乃太刀も稽古に取り入れるようになりました。十分示唆に富んだ太刀だと感じたからです。
今は「夜明けの月影」の作品描写が自身の動きに重なって、よりリアルに迫ってきます。読み返すと以前とは違った迫力が感じられます。
同じものでも受け取り側の経験や知見が変わるとその世界観が大きく変わるというのは良くあることです。
あらゆるものが年を重ねると色どり豊かに、厚みを増して、奥深くなっていくようです。若い頃は気がつかなかった草花や山や川、雲さえも何かを訴えてくるように目に入ります。
今生きている世界がどう見えるか、どう感じられるかはそこに至る日々をどう過ごしたかにかかっているのだとしみじみ考えさせられます。
静稽会は基本的には毎月試斬会を実施しています。
昨日はその試斬会の日でした。試斬会は静稽会発足以来、すでに相当な回数を実施してますが、やはりいつまでも慣れません。無事に終わってホッとしているところです。
私たちの試斬会では畳表を巻いて水に浸したものを斬りますが、江戸時代の試し斬りは罪人の処理死体を斬っていました。
結構凄惨な状況が資料にも残っています。処理死体が貴重だったこともあり、試し斬りは私たちが想像するよりも遥かに細かく切り刻んだようです。
また、試し斬りには検分役がいたらしく「検使役」と呼ばれていました。
出羽国庄内藩士小寺信正の書いた「志塵通」にはこんなことが書いてあります。
「凡そ切れ口を見るは、手を入れて骨の切れやうをさぐり見るなり」
絶対に「検使役」はやりたくないですね。
試し斬りでは何をどう斬ったかが問題にされているわけです。
「よく切れてはなれたるは、あばら骨居所にありて切れはなるるなり。切れの鈍きは骨と骨寄り合いて居所に居らぬなり」
要は斬り口に手を入れて骨の具合を確認すると、きれいに斬れている場合は骨は位置を変えずにその場でスパッと斬れているが、ダメな斬りは骨と骨がくっついて元の位置にないと言っているのです。
元々は刀の性能確認のためだった試し斬りはこの資料が書かれた享保年間には武芸の一種とされていたようです。
つくづく江戸時代の武士に生まれなくて良かったと思います。
静稽会の試斬会でも袈裟斬りの場合など畳表の上の部分が遠くに飛ばずにストンとそのままの状態で落ちる斬りは手応えも無く、斬れていないのではないか?と一瞬戸惑う時があります。実はこれが一番綺麗に斬れた時です。さらに上手く斬ると刀だけが斬り抜けて巻いた畳表は一瞬そのままの状態で残ります。しばらくすると上が滑り落ちます。
ただ静稽会の試斬会はただ斬れば良しとはなりません。普段稽古している形や動きで斬ることが求められます。
何をどれだけ斬るのか?
刀のどの部分でどこを斬るのか?
斬る前後の守備は保たれているか?
姿勢は保たれているか?
斬り口はどうか?
など様々なチェックをしながらの試斬会です。
そしてなにより心を磨く稽古になります。
「武蔵は前を見おろした。さっき思わず息をつめたときに小水がとまって、武蔵の陽物はかすかな痛みをとどめたまま垂れさがっている。一度殴りつけた子供をあやすように、武蔵は垂れさがっているものにだましだまし尿意を伝えようとした。だが、それはうまくいかなかった。じっと立っている足がくたびれて来たころに、たらたらと二、三滴の小水がこぼれ落ちただけだった」
藤沢周平の「二天の窟」に描かれた老年の宮本武蔵です。リアルな描写が真に迫ります。
藤沢周平の武蔵は吉川英治の描いた「宮本武蔵」とは全く違った武蔵です。
あの無敵の宮本武蔵さえもこんな風に年を取るのだとこれでもかと武蔵の老いを描きます。
「物を忘れることが多くなり、飯刻にいっこうに食がすすまず、一腕の飯をもてあますようなことがある。また、武蔵は、風雨の日をのぞき、毎朝薄明に跣で庭に降りて木剣を振るのを日課にしているが、その木剣を、常ならず重く感じることがあるようになった。」
こちらは思い当たる人も多いのではないでしょうか?
稽古時の剣の重さを体調のバロメーターにしている人は結構いるはずです。
そんな武蔵が最晩年、若い頃の自分に似た野心的な若者と立ち合うことになります。
実質的には負けた立ち合いをなんとか引き分けの形に持ち込んだ武蔵でしたが・・・
初めて負けを感じた武蔵は老いを受け入れ、なお老いを引きずりながら全力で戦い続けます。これまでと同じ戦い方では勝てないと悟った武蔵はそれまでとは違ったやり方で戦います。
老いた者には老いた者の戦い方がある。
その後、老残の武蔵は霊巌寺の窟であの五輪書を書き上げます。もちろんこの話はフィクションですが、武蔵がこうした老いを自覚した上で書いたものだと想像すると五輪書も違った見え方がします。
もしかしたら老いがあったからこそ武蔵は歴史に名を残したと言えるかもしれません。そして「二天」にはもう一つの意味が込められているのでは・・・?
ちなみに宮本武蔵は五輪書を書き上げた年に62歳で亡くなってます。
命が危うくなった時にはどうするか?
第一義的にはまずは危険を避けること、次に危険から遠ざかることが「武術」の大事と考えます。しかしどうしても避けられない場合、逃げられない場合があります。その時には覚悟を持って立ち向かわなければなりません。
以前もこの静稽録に書きましたが、「武術」が立ち向かう敵はスポーツ格闘技のように人間一人とは限りません。武器を持った敵、しかも複数の敵と戦うことも想定されます。敵の武器は刃物とは限りません。もしかしたら拳銃を隠し持っているかも知れません。
また必ずしも敵は人ばかりとは限りません。動物の場合もあれば、ウィルス、病原菌、自然災害もあります。私は命を脅かすあらゆるものに対処するのが「武術」だと考えています。
今、まさに地球温暖化などによる豪雨、洪水、氾濫、土砂崩れ等によって、また新型コロナウィルスによって人命が危険に晒されています。「武術」はどんな場合でも生き残る答えを持たなければなりません。
どうしたら自身や人の命を守れるのか?
命の危険な状況下では使えるものはどんなものでも「武器」として使います。
今は戦時だと言う人がいます。本当に戦時だとすれば平時の対処だけでは命を守れません。
「敵を知ること、己を知ること肝要なり」
変な自信は命取りになります。
常に用心し、身体を鍛え、知識を蓄え、考え、感じ、「武器」を備え、いざという時にはあらゆる手段を駆使して対処することが必要です。
武術を学ぶ人はそうあるべきだと思っています。
そして普段からいざという時の覚悟を養うのも武術であると思うのです。
前回、歌舞伎などでは「九寸五分」は切腹を意味すると書きました。歌舞伎や芝居などで観る切腹は美しく描かれますが、現実はどうなのでしょうか?
私たちが知っている現実の「切腹」で思い浮かべるのは1970年市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部での三島由紀夫氏の自刃事件です。
三島由紀夫氏の切腹は臍の下あたりを深さ5cm、横に13cmも切っていたそうです。介錯による傷は首に3箇所、肩に1箇所あったと記録されています。
天保年間に書かれた「自刃録」という書物には切腹のやり方が以下のように書かれています。
「臍の上一寸ばかりの上通りに、左に突き立て、右に引き廻すなり。あるいは臍の下通りが宜しと云ふ。深さ三分か五分に過ぐべからず。それより深きは廻り難きものなりと云ふ」
切腹で最初に刺すのはせいぜい1.5cmくらいまでで、それ以上深いと腹は切れなくなると言っているわけです。
三島由紀夫氏は最初に深く刺し過ぎたために姿勢が崩れたか、身体が意志に反して反応してしまったため介錯の刀が外れたのだろうと言われています。
当時の三島由紀夫氏の写真などを見ると腹回りなどはほぼ贅肉が無さそうな体つきです。おそらく脂肪部分が少なかったため腹筋まで切ったのではと想像します。
腹筋を切れば腹膜が内蔵の圧力に耐え切れずにはみ出し、腹壁が崩れてさらに刃は切れにくくなるはずです。また筋肉が硬直したり激痛によって意識を失うかも知れません。そんな状態の切腹人を介錯するのは至難の業です。
劇中での切腹とは違って、現実は切腹する方も介錯する方も阿鼻叫喚の陰惨な状況になったはずです。
切腹の短刀は九寸五分が作法にかなっていると言われています。歌舞伎などで「九寸五分(くすんごぶ)手に取り」と言えば切腹を意味します。
ちなみに私の短刀は八寸八分です。実際に自分の短刀を手にしてみると、切腹に九寸五分はいささか長いのではと思ったりもします。もしかしたら私の知らないことがあるのかもしれません。
そう言えば映画やテレビの時代劇の中での切腹シーンに出てくる短刀には柄がついていません。
奉書紙で短刀の刀身をぐるぐると巻いて腹を切ってます。
これはなぜなのか不思議に思ってました。ある資料によれば柄の目釘を抜いた状態にしたものもあったそうです。
それはなぜか?
それは切腹人が最後まで抵抗して介錯人などに斬りかかる場合を想定していたのではないかというのです。
恐らくそうした前例があったのでしょう。確かに目釘を外したり、柄を取り外した状態なら短刀での戦闘は難しくなります。
確実に切腹を執り行うよう念には念を入れた仕組みです。
ちなみに私の短刀は新々刀「寿命」ですが「寿命」はその瑞祥銘から縁起の良い刀として珍重されたそうです。
もしかしたら「九寸五分」には至らないよう八寸八分で末広がりの「寿命」という縁起を担いだのかもしれません。
あくまで想像ですが。